澄んで、青く。花薫る。  1


 少しまだ冬の名残を感じさせる春、桜がその蕾を開くのを待たずして、京一郎の新しい生活は始まった。
 憧れの大帝都学園へ高校から入学することが決まってからというもの、故郷から出て都心で暮らす準備や、入学前の事前学習、親しい友人たちとの別れなど多忙が続いたが、それも不動産管理会社を経営する伯父のマンションへ引っ越して、やっとひと段落した。
 引っ越しの日からそのままマンションへ滞在していた両親は何かと世話を焼きたがったが、入学式が終わったら二人とも帰り、にぎやかさも落ち着いた。

 大帝都学園、通称「帝学」は初等部、中等部、高等部からなる名門私立学校で、高等部生の多くは初等部から在籍している富豪の子息だ。しかし奨学金制度も充実しており、教育内容や自主自立の精神に惹かれて、高等部から入学する生徒も多くは無いが一定数いる。
 京一郎も、後者の括りに入る。入試の成績と母校中学からの推薦により、特待生に選ばれた。おかげで親・親族からは早速里の誉などと言われて、期待を一身に背負わされたのは言うまでもない。
 とはいえ、やはり富豪子息ばかりに囲まれての生活には多少の不安を感じていたのだが、教室の後ろの席の生徒が同じ特待生だったため、心細さもすぐに忘れた。

 そして今日、早々の実力考査を終え、後ろの席の外部特待生・乙若刀五とひとしきりおしゃべりをして別れてからの帰り道。雑居ビルと小さな社の間の路地の奥から不穏な声が聞こえた。
(・・・ケンカ、かなぁ)
 いつもなら、親から言われているとおり近づかずに去るところだが、実家を離れて都心へ来たという高揚感も相俟って、京一郎は息を殺して路地を進んだ。
 路地の奥は少しだけ開けていて、マンションの自室が2つ程入るくらいの広さがある。その中心には長身長髪の男が立っており、両側にそれぞれ5、6人ほどが睨みあっているようだ。よく見ると、その長髪の男と片側の5、6人は帝学高等部の制服を着ている。シャツの色から1年ではないことが分かり、そしてそのうちの1人は入学式の際に見た覚えがあった。あれは確か、生徒会の・・・。
(副、会長・・・?)
 と、突然、長髪の生徒が体をふらつかせた。そのまま後ろに倒れ込むのを、副会長が支えて立たせる。気づくと二人には帝学生ではない男が接近しており、長髪の顔を殴ったのだと分かった。そのまま、今度は腹を蹴る。恐らく暴行を加えている方は他校の生徒なのだろう。
(でもなんで、誰も助けないんだ・・・?)
「あと2発までだ。」
 よく響く声で副会長が相手に告げる。長髪の生徒がまた、ふらふらと立ちあがる。
「・・・っ!」
 押し殺した呻き声が聞こえる。
 これ以上見ていられなかった。かといって、10人以上が見殺しにしている先輩を助けに行く勇気もなかった。
 京一郎は息を殺したまま、得体のしれない吐き気を感じながら、下宿先のマンションまで走って逃げたのだった。

* * * * *

 いじめなのか喧嘩騒ぎなのか、ともかくこれを目撃した翌日、学校の廊下で生徒会副会長である3年の館林開とすれ違った。こっそり見ていたことを知られはしないか、それによっていじめの対象が自分になるのではないかと、京一郎は怯えながら目を伏せたが、幸い館林の視界には入らずに済んだようでほっとした。暴行を受けていた長髪の先輩を見かけることは、なかった。
 乙若に相談しようかとも思ったが、見てはいけないようなものを見たような気がして、話す気になれなかった。
 自由な校風に憧れ、親元を離れてまで来た名門学園で、他校を巻き込んだ陰湿ないじめが行われていたことに、京一郎はひどく失望した。同時に、いじめを黙認し我が身かわいさに悪を見過ごしているような自分が、すごく嫌だった。
  ヘタレ京一郎。しかし館林ルートではない。

NEXT NOVEL