澄んで、青く。花薫る。  25


 館林との接触には、乙若は特に気を遣った。
 基本的に伊織の件には触れず、生徒会や帝学のことを中心に雑談し、館林の興味のありそうな話題を見つけるとそちらに逸れたりしながら、彼の心象を損なわないよう、慎重に会話を繰り返した。
(薫くん達のときとは大違いだ。)
 乙若に言わせると、重要度が違うのだそうだが、明らかに"その後"を意識しているに違いない。
 何度かそうやって食事を共にしたり他愛もないお喋りをしたりしているうち、館林の様子に変化があった。

「じゃ、今日も楽しかったです。また付き合ってくださいね。」
 いつもなら爽やかに挨拶を返し、颯爽と去っていく彼だが、なぜか黙り込んでいる。
「あ、もしかして僕らにばかり時間取らせてしまって、何か問題が?」
「いや、そういう訳ではない。 ・・・」
 どうも歯切れが悪い。館林らしくない。
「忙しかったですか?すみません、館林さんの都合も考えずにしょっちゅう付き合ってもらっちゃって。」
「いや、そうではなく・・・」
「?」
 少しずつ目線が下がっていく。何か言いたそうではあるのだが、彼の中での葛藤があるようだ。
「柊。」
「・・・え、あ!はい!」
 突然呼ばれて慌てる。
「お前と二人で話がしたい。悪いがもう少し、いいか?」
 乙若を見遣ると、頼む、と目配せしてきた。気乗りはしないが、仕方ない。
「分かりました。ここでいいですか?」
「いや、場所を変えよう。帰りは送るから。」
(えぇぇ・・・?)
「乙若、悪いな。次はお前も一緒に。」
「是非とも!約束、忘れないでくださいよ!」
 元気に小指を突き出す乙若に微笑み返し、館林は迎えに来た車へ京一郎を乗せた。

「こんなところまで連れてきてしまって、すまない。察しはついていると思うが、お前だけを呼んだ要件はいお・・・千家のことだ。」
「そうかな、とは思ってました。」
 薄々予想していたとおり、車は館林の家の玄関先に停まった。伊織の家と同様古い建物だが、洋館に加えて和館も併設されており、京一郎が通されたのは和室だ。
「以前、生徒会室に呼んだとき、お前はあれをいじめだ、と言っていたな。」
「はい。今も、言い逃れはできないと思っています。」
 はっきり告げる。目は逸らさない。
 前回のように強く否定されるかと思ったが、館林の視線は弱々しかった。
「・・・お前の、言う通りかもしれないな。」
「え?」
「伊織が、あんな扱いを受ける道理がない。」
「館林副会長・・・」
 爺やと呼ばれる初老の男性が、日本茶を持って静かに現れた。お茶請けは、数種類のあられ。
「あ、アラレだ」
「煎餅が無かったので、代わりに出させた。アラレも好きか?」
「はい!」
 煎餅好きを特段アピールした記憶はなかったが、これまでの会話から憶えていてくれたのだろうか。低かった館林の好感度は急上昇である。
「お前は、事の経緯を知っているのか?」
 少し和らいでいた表情を再び引き締めて、館林は話を戻す。
「はい。伊織先輩から聞きました。」
「伊織が?!・・・お前は、随分と信頼されているようだな。」
 館林の視線に微かな羨望が混ざる。少しだけ得意な気持ちになったが、自分への戒めを含めて否定する。
「そう、なんでしょうか。伊織先輩に、一緒に生徒会へ抵抗しようと言ったら、拒絶されました。」
「伊織は、どこまでお前に話した。」
「どこまでって、生徒会長を守るため身代わりになって予め暴行を受けている、と。非公式の場合だけ、反撃できることも。」
「・・・それだけか?」
「まだ、何かあるんですか?」
 館林は高校生らしからぬ眉間の皺を深くする。
「これは、プライベートなことだから、おいそれと人に話す内容ではないのだが、・・・」
 京一郎を鋭い視線が射抜く。
「お前は、伊織を裏切らないな?」
 突然の質問。しかしこれに対する返答は必然的に、誓約となろう。京一郎は迷わず、はっきりと答える。
「当然です。たとえ伊織先輩自身が抵抗したとても、僕はこの暴力を止めさせます。」
「そういう言い方をすると、・・・。まあいい。伊織に姉がいるのは知っているか。」
「はい。お嫁に行って、先輩と一緒には暮らしてないと聞いてます。」
「彼女の嫁ぎ先は、スメラギ家だ。」
 反応が遅れた。
 スメラギという名字は、生徒会長と、件の養護教諭と同じ。伊織の姉がその家に嫁いだということは、・・・。
「生徒会長と、スメラギ先生は、伊織先輩の親戚・・・」
「そうだ。しかも、結婚相手はスメラギ先生の弟。」
 だんだん晴れていくような霧の向こうにあるものを、知るべきではない気がする。それでも聞かずにはいられない。
「館林副会長、生徒会長を守るために伊織先輩へ暴行を受させるなんてこと、・・・一体誰が言い出したんです?」
 館林は目を閉じ一呼吸置いてから、絞り出すように呟いた。
「・・・スメラギ先生だ。」
 まさか。自分の守るべき生徒にわざわざ機会を設けて暴行を受けさせるなど、教師が、若くて生徒からの信頼も厚い教師が、本当に言い出したりするのだろうか。
「そ・・・んな・・・」
「私も、・・・その場にいた。スメラギ先生は会長を、スメラギ太志を溺愛している。彼女は太志を守るためなら、何だってするのだろう。何故なら、・・・」
 京一郎は、息を殺して次の言葉を待つ。しかし館林はそれ以上言うのをやめたようだった。
「いや、何でもない。うちは、スメラギ家とも千家の家とも、ずっと付き合いがあるのであの人の性格をある程度知っている。そしてこれは推測にすぎないが、伊織にはきっと、言う通りにしないと姉がどうなっても知らないという類のことを言ったのだと思う。でなければ、伊織があんなに必死にこんなことを続けるはずがない。」
 ・・・それだ。京一郎との付き合いを通して、伊織へのスメラギ教諭の影響は薄れているはずなのに、彼に変化が見られなかったのは、スメラギの脅迫があったからなのだろう。先日のデートで、姉のことを口にしたときに伊織の表情が曇ったのは、まさにそのことを思ったからに違いあるまい。
 館林に真意を伝えるなら今だ。この場に乙若はいないが、意を決して京一郎は口を開いた。
「でも、それなら館林副会長はどうして、この提案の不審さを看過したんです?」
「なに・・・?」
「今は、あれが異常な方法だと理解できる。だけど、スメラギ先生が提案した時は、さして疑問も覚えずに受け入れたんですよね?」
 京一郎の言葉を苦い顔で聞いていた館林は、少しの間の後、独り言のように呟いた。
「確かに・・・何故今の今まで、こんなことを続けてしまったのだろう。何故私でなく伊織が、と思ったことはあったが、この対処の愚かさに何故疑問を抱けなかったのだろうか・・・」
 京一郎は確かな手ごたえを感じた。きっと館林は話を聞いてくれる。
「それは、きっとスメラギ先生の影響です。魔法みたいな、なにか。乙若と僕は、それを探っていたんです。」
「魔法・・・?」
「スメラギ先生と近くにいることで、判断能力に何らかの影響が及んだ。生徒会は、不審に思うことをしなかった。伊織先輩の怪我を見た一般生徒も、さして気に留めなかった。」
 館林は黙って聞いている。
「でもなぜか、僕たちは気づくことができた。その原因はよく分かりません。でも確かに、スメラギ先生は健康診断なんかを通してかなり多くの高等部生徒と何らかの接触を持つことができて、そしてそれにより何かが起きている。・・・乙若は、スメラギ先生の香水?が怪しいと思ってるみたいですけど・・・。薫くんと馨くんは、先生の香水が苦手だからあまり彼女に近づかないようですが、ずっとこの件には疑問を抱いていたようです。」
 変な顔をして聞いていた館林だが、薫たちのことを口にすると顔色を変えた。
「あいつら、何故私を問い詰めなかったんだ・・・。」
「館林副会長をとても尊敬している風でしたよ。」
「・・・・・・。」

 時計を見ると、街中にいたら補導員に声を掛けられそうな時刻になっていた。
「館林副会長、今日はありがとうございました。もう二度と伊織先輩が暴行を受けることの無いよう、協力をよろしくお願いします。」
「それはこちらの台詞だ。柊、本当にありがとう。伊織の前に、まず私がお前たちに救われた。乙若にも、明日改めて礼を言いたい。」
「彼も喜びます。では。」
 辞そうとする京一郎を呼び止めて、館林は苦い顔で言った。
「柊、多分もう一つ、スメラギ先生が伊織を選んだ理由がある。」
 振り返ると、館林は言いづらそうに目を逸らした。
「・・・あいつはこの夏に早期卒業して、海外の大学へ進学する予定だ。」
「何、ですって・・・?」
 彼の言葉が、うまく理解できない。
「夏に、卒業?」
「9月から大学へ入学する。簡単に言えば飛び級だ。夏に国外に行ってここから居なくなるのであれば、この状況下に置かれる期間も短いし、卒業した後に暴行のことをリークされる危険も少なくなる。それもあって、スメラギ先生は私でなくあいつを選んだのだろう。」
 動揺を隠せない。伊織がもうすぐ居なくなるなんて、思いもしなかった。
「これも、プライベートなことだから言うべきか迷ったが、お前には伝えるべきだと思った。・・・伊織からは、聞いていないのだろう?」
「・・・はい・・・。」
 なんとかして伊織と話さなければ。でも、何を? 京一郎はいま、行かないで、と言える立場にない。スメラギ先生に脅迫されてるのか、とか?・・・言ってどうする。
 ああ、居ても立ってもいられない。今すぐ伊織に会いたい。
「館林副会長、伊織先輩の家は、ここから近いですよね?」
 唐突な質問に驚く館林の返事を待たず、京一郎は邸を飛び出した。
 闇雲に走る。千家邸がどこにあるかなんて、正直よく覚えていない。以前来た時に車中から見たような気がする角を曲がっては、見覚えのある景色を探す。
 もう完全に陽は落ちている。街灯が照らす道は、傘を差して小雨の中に立っていた伊織の姿を思い起こさせるだけで、京一郎に何らの標を与えてくれるものではなかった。
「伊織先輩・・・」
 やはり見覚えのないこちらも大きな邸の前で立ち止まる。
 迷ってしまった。
 館林邸がどちらの方向にあったかも、分からない。その場でぐるりと周りを見渡す。
 ある邸のカーテンを閉めていない西側の窓に、人影が見え、すぐに消えた。逆光で顔は見えなかったが、長身・長髪の人物のようだった。
「伊織・・・先輩・・・」
「・・・あそこは、伊織の家ではない。」
 振り返ると、館林が息を切らして立っていた。京一郎を追ってきたらしい。
「それに今日はもう遅い。伊織には、明日会って話せばいいだろう。」
 館林の宥めるような視線に、頷かざるを得なかった。
 すぐに現れた館林家の車に送られ、京一郎はまた、ひとり静かな孤城へ帰ったのだった。

  あと2回くらいで終わります。・・・大切なのは千京であることなのです(言い訳)。そこだけ見てください(;∀;)/

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