平安パロディ(タイトル未定) 4


「・・・貴方の話を信用したとして、私たちが訪ねた相手は皐月の花だったということですか。」
 そんなわけあるか。陰陽師を訪ねたのだ、そう簡単に騙されてはやらない。
 不思議な体験も数を重ねると、肝を据えて対応できるようになるようだ。
「君、なかなか面白いことを言うね。」
「貴方こそ。・・・それで?一体貴方は何者なんです。おかしなことばかり言うといい加減に人を呼びますよ。」
 萎れた花の口――口があるのであれば――は減ることを知らない。
「だから。僕がその、陰陽師だと言っているだろう。いい加減信じてくれないかな。」
「では陰陽師が皐月に化けているとでも言うんですか。」
「・・・君ねぇ。これは、僕の式だよ。」
「・・・しき・・・?」
 しきとは式神のことだろうか。伊織のは兎だった。それでは昼に訪ねた陰陽師は花を使役するのだろうか。
「君達が帰る姿が見えたから、咄嗟に手近に咲いていた皐月の花を摘んで飛ばしたんだ。花を通して僕の声はよく聞こえるだろう?」
 つまり、花自体が喋っているわけではなく、別のどこかにいる人間が、陰陽術を使って異なる場所へ声を聞かせているということか。
「そう。取っ掛かりがあれば理解が早いんだね。」
「式神にも、色々あるんだ・・・」
 京一郎の呟きを陰陽師は聞き逃さない。
「色々、とは。君は以前にも式神を見たことがある、と思っていいね?それは人語を喋る何か、だったのかな。」
「・・・そうですが。」
「へぇ。そしてそれが、君に悪いものが憑いていないか知りたいのと関係している、ということか。」
 流石陰陽師。少しの会話で核心へと導いてゆく。しかしなにやら、うまいこと回答を引き出されているようで面白くない。
 そもそも、この皐月を操っているのが本当に伯父と訪ねた人間なのかだって、相手がそう言っているだけで実のところ不明だ。
(もし、この人が伊織殿の記憶を封じたのだとしたら・・・)
 ここで易易と話してしまっては、彼の身が危ないかもしれない。
 京一郎は咄嗟に、話をすり替えることにした。
「確かに私は"かつて"、人でないものの声を聞きましたが、今回伯父が心配していたのは、私が野盗に襲われ、従者が皆殺されたからです。彼らの魂が私について来ていないか確認して、家の方々を安心させたいだけです。」
 皐月の花は少しの間沈黙していたが、それから、そうか、と小さく呟いた。
「僕はね、探しているものがあるんだ。もしかして君がその手掛かりを持っているかも、と思ったんだけど、見当違いだったみたいだね。」
「それはお気の毒です。こんな夜中に起こされた私はいい迷惑でしたが。」
「だって皐月がもうこんなに萎れて、持たないから、さ。起こしたのは悪かったね。君におかしなものは憑いていないようだから安心していいよ。では、ね。」
「あ!あの・・・」
 名を聞こうとしたのだが、すっかり萎れた皐月の花は、床の上にくたりと落ちていた。それからいくら呼びかけても、花から声がすることは、もう無かった。

* * * * *

 翌日早く、伯父の元に陰陽寮から文が届いた。京一郎の憑き物については心配無用とのことだった。
「おや。京一郎くん、あれから天現寺橋先生に会ったのかい?」
 それがあの皐月を操っていた人間だとすれば、そうなるのだろうが、そもそも天現寺橋なる人物がどのような姿でどのような声をしているか知らないのだ。だから京一郎は当たり障りないことのみ口にした。
「いえ。ただ昨夜、不思議な物音がしましたが。」
「文にも昨夜お訪ねしたと書いてあるね。じゃあきっとそのことだろう。いや、なにもなくて良かった。」
「陰陽師とは、そのような、・・・なんと言うか胡乱なものなんでしょうか。」
 伯父は意外にも全く不思議がらない。京一郎は直球の質問をぶつけてみたが、彼はただ微笑んで言った。
「私たちに知り得ないことを知る人たちだ。それに疑問を抱いたところで、結局私たちには分からない世界なんだよ、きっと。」

 その日、伯父は業務が立て込んでいて相手ができないとのことだった。同僚に相手させると提案してくれたが、京一郎は都の見物をしたいと辞退した。
「馬は扱えるかい?・・・では貸してあげよう。牛車には当分乗りたくないだろうからね。」
 法成寺など眺めてくるといい、と伯父は見所を押さえた地図を描いてくれた。
「・・・あの、私の牛車があったのはどの辺りでしょうか。」
「それならこの辺りだが、・・・あまり近寄らない方がいい。遺体や牛車の残骸は片付けさせておいたし、これから供養も予定しているのだから、あまり思い詰めないでくれよ。」
 地図の一角を指差して困り顔になる伯父に、わかりました、と京一郎は微笑んでみせた。
 しかし、牛車の位置を聞いたのは手を合わせに行こくとだけが目的ではない。牛車が襲われた場所からあの屋敷まで、さして遠くないはずだ。伯父には悪いが、あれから数日、ずっと気になっていた童の様子を見に行くつもりだ。
 伯父が出掛けると、下女から少しの強飯を分けてもらい、京一郎は早速馬に乗って牛車が襲われた辺りへ向かった。

 昼の明るい中でも、木々がうっそうと生い茂り、人気のないこの辺りは心細さを誘う。牛車のあったらしきところには、掃き清めた形跡が認められたが、転がる小石や枯葉の幾つかに血が付いて赤茶色に染まっているのを見つけ、京一郎は手を合わせながら涙を流した。
 気の済むまで祈りを捧げてから、例の古屋を探す。あのときは白月の足音が導となり辿り着くことができたが、今回は足音も何も聞こえない。ただ、じめっとした空気が風に流され、竹がさやさやと葉擦れを鳴らすだけ。
 馬を繰り、牛車の位置を中心として手当たり次第行っては引き返しする。あの夜と同じで、曇った空は陽の位置を知らせてくれない。周りの木々に傷を付け、大まかな己の位置を確認しながら行くこと何度目か、やっと例の古屋らしきものが見えてきた。
 まだ昼であるためか、篝火は焚かれていない。
 よく見ると、あのときは随分と立派に見えた門はところどころ朽ちていて、手入れが為されていないことがよく分かる。生垣も伸び放題で、それがかえってこの屋敷を守っているようでもあった。
 返事はないだろうと思いながら、門前で一度声を掛け、敷居を跨ぐ。やはり返答はない。
 伊織はどこにいるだろう。古屋とはいえ別邸にしては立派にすぎる造りのこの建物は、すべての部屋を覗くに容易でない。京一郎が入ったことのあるのは寝殿か書庫だけであったため、馬をつないで、まずは書庫を目指す。
 先日彼を抱いて覗いた水瓶の横に、山紫陽花が満開に咲いている。
 書庫の扉を引くと、湿気を含んだ分厚い木板は軋みながら開いた。
 中は灯りひとつなく、しんと静まり返っている。
「伊織殿・・・」
 京一郎は暗闇に呼びかける。が、やはり返答がない。
 やはりあの童子は幻だったのだろうか。
 まだ日暮れまで時間がある。もう少しだけ、この屋敷を探して、居なかったら帰ろう。
「あれが本当に竈神の祟りだったとしたら・・・、」
 とと。
 小さな物音に耳をそばだてる。
「白月?」
 呼ぶと、書庫の奥がぼんやりと明るくなった。
 燭台に火が灯っている。
 蝋燭の奥に、膝に片肘を立てて頬杖を付き、書物に読み耽る男童の姿が浮かび上がった。
「伊織殿!」
 声に気付いたらしく、ゆっくりと顔を上げる。
「・・・京一郎か。」
 さして驚いた風もなく、淡く微笑む。
 この間は、彼を抱いて門を出ようとして、結局うまくゆかなかった。そのまま伯父と会い、彼を置いて来てしまった。
 寂しかっただろうか。心細いなどと、彼は感じることがあるのだろうか。
 見た目の幼さにそぐわぬ泰然とした彼を見ていると、なんと声を掛けていいのか京一郎は戸惑う。
「・・・あの、先日は勝手に出て行ってしまって、その・・・」
「もとより伯父御殿の元へ行くはずだったのだろう。黒月から聞いたが、会えたようでよかったな。」
 伊織は肘をついていたのと逆の膝の上にいる黒月と白月の背を、手のひらで撫でた。心なしか、黒月は丸々と太ったように見える。
「・・・灯りもつけず、何を読んでいたんです?」
 訊くと、童は首を傾げた。
「灯りは点いているだろう。」
「私がここを開けたときは、真っ暗でしたよ。息苦しくなかったんですか。」
「さて。記憶にない。」
 伊織が勢いよく折本を閉じると、埃がばふっと舞った。
「ちょ、・・・げほ、や、・・・てくたさいよ、っも!」
 京一郎は堪らず伊織を抱えて外へ飛び出す。
「っあー、もう!何するんですか。」
「・・・・・・」
「書物は大切にするように教わりませんでしたか。あんなに乱暴に扱って。」
 伊織はそっぽを向いている。
――なれこそ主を乱暴に扱っているではないか。
 黒月に言われて、むっとしながら片腕に抱えていた男童を降ろす。
「あれ?」
 違和感に京一郎は首を傾げた。前回会ったとき、伊織の背はこのくらいだっただろうか。
「どうした?」
「伊織殿、背、伸びました?」
――主の背が伸びた?!
 兎たちが嬉しそうに跳ねまわる。
「・・・私は特に、変わりないと思うが・・・」
 本人は怪訝そうにしているが、子供は少し会わないうちに、急に大きくなっていたりするものだ。京一郎は、伊織を庭の水瓶の前へ連れて行った。
「この間は私が抱えないと貴方の顔が見えなかったけれど、つま先立ちしてみてください。・・・ほら。やっぱり背が伸びている。」
 頭を撫でると、少し照れくさそうに伊織は咳払いをした。
「それで?今日は何の用だ。」
「・・・昨晩、陰陽師を名乗る者が、花を通じて私に話しかけてきたんですが。」
「なんだそれは。怪異か。」
 不気味そうに身構える伊織。貴方が言うな、と京一郎はこっそり思った。
「まぁ、不思議なことなんですが。それで少し気になって。」
 童は先を促すように頷いた。
「貴方を封じたのは、陰陽師だったんですか?」
「さぁ。記憶は曖昧だが、少なくとも当時陰陽寮にいた人間ではないな。見覚えのない奴だったから。」
 それでは彼は人さらいにでもあったのだろうか。そして、何かの生贄にされたのか、殺されたのか・・・?
「貴方はいくつの時からここに居るんでしたっけ。」
「九つの時からだ。」
「九つ?陰陽寮にいた人が誰かなんて、よく知っていますね。」
「私は童殿上していたからな。」
 やはり、この童の家は殿上人、つまり堂上の家柄に違いない。気さくに話してはいるものの、対応には気をつけねばと京一郎は姿勢を正した。
「それでは、当時の殿上人の名前も憶えていたり?」
「当然だ。」
「教えてください。貴方の家を探す、手掛かりが見つかるかもしれない。」
 姓と、呼ばれていた名さえわかれば、それがたとえすでに他界している人物でも手掛かりになる。子孫に聞けば、伊織がどこの家の子なのか分かるかもしれない。結果、もし彼がやはり生きていなかったのだとしても、供養してやることができる。
「なぜ、そうまでして私のことを調べようとする?」
 二匹の兎を抱きしめながら、伊織は上目遣いで訊いた。
「さぁ・・・。貴方がなんだか、寂しそうに見えたから、ですかね。」
「寂しそう?」
「私がいない間、つまらなかったでしょう?」
 そういって顔を覗き込むと、伊織は鼻を鳴らしてそっぽを向いた。
「記憶にない。」
 そして寝殿の方へ行ってしまう。
「素直じゃないなぁ。」
 京一郎は童を追いかける。
 横に並ぶと、黒月が腕を伝って肩に乗った。
 兎を抱いていない方の手が手持無沙汰に見えたので、京一郎はその手をそっと握ったのだった。

  次回から、京一郎くんの調査開始です。

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