平安パロディ(タイトル未定) 3


「・・・出られない、とは・・・?」
――言の葉のとおりだ。これまで幾度となく出ようと試みた。しかしどのようにしても、主は連れ戻されてしまうのだ。
「連れ戻す?誰が?」
――知らぬ。恐らくはそういうまじないをかけられたのだ。なれが手を引けば、あるいは、と思ったのだが。
「まじない?誰に?」
――知らぬ。我らが生じたのは主がここに閉じ込められたときだから。
「伊織殿!」
 呼びながら引き返し、寝殿を目指す。
――なれ、主はそちらに居ない。庭の書庫だ。
 式神の言うとおり、先程の書庫の中に伊織は立っていた。
「おや。忘れ物でもしたか。」
 振り向いて、彼は微笑む。
 その笑顔には年相応の幼さではなく、長年の疲れというか、小さな落胆のようなものが感じられた――まるで、こうなることは分かっていた、期待などしていない、とでも言いたげな。
「黒月が、貴方はここを出られないと言っていましたが、本当なんですか。」
「かつて試したことを言っているのなら、そうなるな。まぁ兎たちは、私の姿を今の今まで見ることができなかったわけだから、案外少しくらいは出たことがあったのかもしれない。」
 勿論私はここを出たと認識したことはないが、と笑いながら付け加える瞳には、諦念すら感じられる。童のする顔ではない。
「ですが、今門を出たら貴方は私の横から居なくなっていました。」
「そうだな。気付いたらここに居た。」
「貴方は、その、力とやらが戻ったのでしょう?だったら――」
「さて。それとこれと、関係があるのかどうか。」
 目を伏せて低く笑う伊織は、やはり童には相応しからぬなにかを纏っているように見えた。兎たちは余計な口を挟まないつもりか、沈黙している。
 京一郎は不思議な童子を見つめた。
 昨夜、野盗に襲われてから、この邸に辿りついたことで、ひとまずの休息を得られたのは間違いない。それを許したのはこの正体不明の童であり、一時は害為すかと構えたが、結局大したことは何もなかった。どころか、彼との会話により、弱っていた心が元の調子を取り戻したし、彼の式神は近くの邸まで案内してくれるという。
 改めて考える。彼は妖かと。
・・・確証はないが、恐らくは否、だと思う。
 では、霊魂か或いは生霊か。
・・・もしかしたらそれに近いのではないか。こちらも確証はないが。
 式神は彼が生きていると言っていたが、この状態で普通の人間であるわけがない。やはり地縛霊なのかもしれないが、その真偽は確かめる必要がある。
「・・・もう一度、やってみましょう。今度は私が貴方を抱いて出てみます。」
 伊織は諾とも否とも言わない。
 京一郎は童子を抱き上げ、再び門へ向かった。すり抜けたり落ちたりしないよう、しっかりと両腕で抱え直し、敷居をまたぐ。
 片脚で門外の土を踏んだとき、小さな手が京一郎の狩衣をきゅ、と握った。
「伊織殿・・・。」
 呼びかけに、腕の中の伊織は表情なく応える。
「なんだ。」
 期待すまいという気持ちをいじらしく隠そうとする様子に、京一郎はなんと言えばいいか躊躇ってしまう。
「・・・いえ。」
 そして、もう片脚を門外に着く。
 腕の中を見る。
 何か言いたげに伊織は口を開いた――

――が。
 どこからか舞う土埃に京一郎が瞬きした、その刹那。
 彼は消えてしまった。
 肩の上の兎が、小さく溜息を吐く。
 子供を抱く形を取った腕だけが、虚しく空を抱いていた。

「・・・黒月、伊織殿は――」
「そこで何をしている。」
 急に、背後から声がした。
 振り向くと、騎馬姿の男が少し離れたところからこちらを見ている。
「あの・・・私は、昨夜野盗に襲われて・・・」
「ん?もしや・・・貴方は京一郎くんかい?」
 突然名を呼ばれ、改めて相手をよく見る。ぱっちりとした大きな目は、まるで母親のそれと瓜二つで・・・。
「伸彦伯父上殿?!」

* * * * *

 京一郎が事情を説明すると、伸彦伯父はすぐに自宅へ案内してくれた。彼は業務で偶然出て来ていたとのことだった。
「しかしあんな空き家で一晩過ごすなんて、貴方は随分と度胸があるのだね。」
 京一郎を馬に乗せ、伯父は感心したように笑った。
「・・・やはりあの邸は空き家だったのですか。」
「しかも竈神の祟り付きだともっぱら噂されているよ。なにか怖いことはなかったかい。」
 年相応の格好、声。馬を扱う腕。・・・今度こそ、何の変哲も無い人間。
 少しほっとした京一郎は、昨夜のことを話してみる気になった。
「信じていただけるか分かりませんが・・・、あの邸には子供が居たんです。」
 ほう、と伯父は相槌を打つ。
「襤褸を纏った?」
「いえ、とても上質な水干を着ていて、話し方もとても童と思えないほどしっかりしていて、」
「へぇ。」
 それから言うまいかしばし迷い、小さく付け加える。
「・・・喋る兎を、2羽連れていました。」
 それまで真摯に聞いていた伯父は、急に吹き出した。
「・・・っはっはっ、そりゃあ京一郎くん、貴方が化かされたね。」
 やはり、信じてはくれないか。
「そう・・・なのでしょうか。」
 だが、そうは思えないのだ。
 つい恨めしい顔をしてしまったのだろうか。伯父は少し不憫そうに、京一郎の肩を優しく叩いた。
「疲れていたのだよ。 野盗なぞに襲われて、さぞ恐ろしかったろう。従者に幼馴染はいたかい?」
 黙って首を振る。
 だが昨日の朝までは、皆、笑顔で疲れただの早く都が見たいだの言っていたのだ。誰も怪我をせず、病に苦しむこともなく、順調に、旅は終わるはずだったのだ。
 深く穏やかな声と言葉を交わすうち、忘れていた恐怖や悲しみが急に溢れ出てくる。
 沈痛な面持ちの京一郎に、伯父は黙って頷いた。
「早く弔ってやりたい。私のためにここまで共に来てくれた者たちです。骸が獣に荒らされないうちに。」
「そうだね。急ぎ手配しよう。」
 伯父の優しい声に、胸が詰まった。
「そして貴方は今日ゆっくり休みなさい。疲れている上に、祟りのある空き家に入ってしまったのだ。明日は祓ってもらおう。」
 祟りという言葉に、そういえば肩に居た黒月はどうしただろうかと見回す。
 門をくぐった時には確かに肩に乗っていたはずの式神は、いつの間にか姿を消していた。
 伯父に、小さな黒い兎を見なかったかと尋ねたが、そんなもの初めから居ないのだよと一笑された。

 その夜、伯父一家の用意してくれた部屋に寝転び、京一郎は昨夜からの出来事を思い返した。
 伊織はあれからどうしたのだろう。
 やはり、どこか寂しげに微笑んで、書庫に佇んでいるのだろうか。
 門を出る前、彼は胡乱な書物を開いて何か言いかけていた。状況が見えてきた、などとも言っていた。
 伯父はあれを、化かされたか祟りを見たかしたと思っているようだから、またあの邸に行きたいと言ったら、きっと反対される。しかし・・・。
(あの子を置いて来て、私はいま後悔している・・・)
 あれでよかったのかもしれない。本当に祟りなのであれば、これ以上関わってはならない。
 なのに、昨夜、声の主の姿を見たいと思った時のように、気持ちを突き動かされる。あの童を置いてきたことが、どうしても心の中に引っかかっている。
 元より好奇心が旺盛で、質問ばかりして大人を困らせていた。加えて、袖触れ合う人々の不幸を見過ごせない性格でもあった。地方貴族の父親からは、大局を見よ、何が些事かよく考えよ、と、よく言われた。それを学ぶことも、都に出てきた理由のひとつだ。
 では、古家に幽閉された若菫の君の存在は些事なのか。
 彼は、彼を見たのは京一郎が初めてだと言っていた。伯父は、声を掛けられた時にはまだ肩に乗っていたはずの黒月に気づかなかったようだった。
 もし黒月や白月を見ることができないのなら尚更、彼があの男童を見ることは難しいだろう。
 だとすれば。
 京一郎が彼を見つけたことには、何らかの意味があるのではないか。
 白月は伊織が生きていると言っていた。
 あの邸で見た彼がもし、生きている、という状態なのであれば。・・・例えば黒月の言うように、まじないにより何かを封じられて、それこそ人と妖の狭間にあるものになってしまっているのなら。
 助けなければならない。
 妖ではなく、人である、彼を。
 伊織は、檻から救ってくれるのか、と言った。救いを求める者の手を取らぬは、これから故郷を治めてゆくべき者のすることではない。
(よし・・・!)
 己に何ができるのかは分からない。けれど、あの小さな男童を救うために行動を起こすことが、都に出てきた己に神の与えた試練のひとつであるに違いない。京一郎は、そう思ったのだった。

 翌日。ゆっくり休み特段体調も悪くなかったため、京一郎は伯父の出仕に付いて行くことを許された。
 砂ぼこりの舞う京の街を、二人並んでのんびりと歩く。
「・・・とても大きな通りですね。まるで大きな河のようです。」
「はは。驚いたかい。君の母上殿も、昔はこちらに居たことがあったのだよ。」
 賢い娘でね、歌も上手だったから文も毎日沢山届いたものだった、と懐かしそうに伯父は語った。
 父も熱心に恋文を送った一人だったのだろうか。あの気の強さを知ってどう思ったのだろうか、などと考えると、京一郎はつい小さく笑ってしまった。
「仕事がひと段落したら、陰陽寮へ連れて行ってあげよう。そこで、憑き物などないか確かめてもらうといい。」
 礼を言おうと口を開いた時。
「おいおい、憑き物付きなんか、連れて来ないでくれよ。」
 頭上から声が降ってきた。
 見上げると、癖のある髪を首の後ろで縛った青年が、木の上から見下ろしている。
「いつもながら元気がいいね、菊花の君。」
 伯父が声を掛けると、にっかりと笑って菊花の君と呼ばれた男は木から飛び降りた。着地寸前に、曲芸師のように一回転する。
「ご機嫌ですね、式部大夫。誰ですその若いの。見ない顔のようだが。」
 そう言って大きな瞳をこちらへ向ける。
「私の甥だよ。田舎から学びに来てね。当分こちらへ居るから、仲良くしてやってくれ給え。」
「ふーん。」
 しろしろ見つめてから、菊花の君はまたぱっと明るく笑った。
「何か困ったことがあったら、神祇官に来い。相談くらいなら乗ってやる。」
「はい!よろしくお願いします。」
 歳の近そうな彼とは友人になれそうだ。幸先の良い出会いに、京一郎は伯父を訪ねて良かったとしみじみ思った。
「そうだ、菊花の君。貴方は憑き物や祟りをよく知るのだったかな?」
「俺はかんづかさですから。呪いとか祟りよりは神の相手をしてる方が得意ですよ。見たところ、甥御殿に憑き物は無いようだが、気になるならやはり陰陽寮に行かれるがいい。では。」
 深追いする気のないらしい菊花の君は、爽やかな色の狩衣を翻して去っていった。

 伯父の出仕先を一通り見学した後、京一郎は陰陽寮を訪れた。
「天現寺橋先生はいらっしゃるか。」
 伯父が声を掛けると、今は居ないとの回答が返ってきた。他の陰陽師も出はらっており、京一郎の状態を見ることのできる者が居ないとのことだ。
「困ったね。今のところ異常は無いようだけれど、伯父として貴方の体調は心配しているんだ。」
「私のことは心配なさらないでください。無事伯父上殿のところへ辿り着けましたし、特段不調もありません。」
 むやみに気を遣わせては申し訳ないし、変に大ごとにして、あの邸にいる童を調伏するなどという話になっても困る。
(・・・困る、のか・・・?)
 伯父は、本人がそう言うのなら、と頷き、すれ違った同僚にそろそろ帰宅すると告げた。

 大内裏を出ようとして、狩衣の後ろ裾が何かに引っかかったような感覚に、京一郎は立ち止まった。
「どうかしたかい?」
「いえ・・・」
 見回しても、木の枝や犬など、着物を引っ張りそうなものは見当たらない。気のせいかと足を踏み出すと、また背中の布が突っ張る感じがある。
「着付けがまずかったかな・・・」
 後手に背を掻くと、小さな花がほろりと落ちた。どうやら皐月のようだ。
(皐月の株など、ここまでの道にあっただろうか・・・?)
 不思議に思いながら懐に入れ、京一郎は先を行く伯父の後を追った。

 夜も更けた頃。
 顔に冷たいものが当たる感触に、京一郎は目を覚ました。
「ん・・・」
 目を閉じたまま手で払いのけるが、その度冷たいものが顔の上に戻ってくる。
「・・・し、つこいなぁ」
 まだ夢うつつの中、顔の上を掴むと、ひゃあ、と音がした。
「なに?!」
 慌てて飛び起きる。
 辺りを見渡しても、何も無い――が。
「・・・ちょ、君さ、力強い・・・っ」
 途切れ途切れに人の声が聞こえる。
 小さな音だがはっきりと。
「皐月だよ、花を、・・・んだから、っそんなに・・・ぁ」
 手に握った花から、その声は鳴っているようだった。
「うわああっ」
 思わず投げつける。
 暗闇の中で薄ぼんやりと紅色を放つ花は、よろよろと宙を舞って、落ちた。
「君、案外と乱暴だね・・・」
 握られて随分と萎れた花は、床の上で息も絶え絶えといった様子だ。
 考えてみれば人語を話す兎を知っているのだ、花が喋ろうがさして驚くことではない。
(――なんてことあるか!)
「・・・君というのは私のことでしょうか。」
 努めて冷静を装って話しかけてみる。
「そうだよ。他に誰かいるかい?」
「花が喋っているのです。人間の私以外の何かと会話しているのかもしれないと思ったものですから。」
「へぇ。随分と肝の据わった物言いだね。もしかして、人以外のものと話したことでもあるのかな。」
 萎れた皐月は面白そうに含み笑いをする――ように見える。なんとも不気味だが、何故だか恐ろしいとも思わないのが不思議だ。あの邸で散々の怪異を見たからだろうか。
「まぁ、多少は。それより貴方は何者ですか。やはり妖なんですか。」
「おやおや。今日僕を訪ねて来たのは君じゃないか。」
「貴方を?今日、私は伯父について大内裏へ行っただけです。人違いではありませんか。」
 馴れ馴れしい口ぶりに、いささか腹が立ち、京一郎は少し冷たく返す。
「陰陽寮へ来ただろう。」
「陰陽寮へ行ったのは、私に憑き物がないか見ていただくためです。花見に行ったわけではありません。」
 皐月の花は、知っているよ、と呟き、そしてこう付け加えた。
「だから、君たちのお探しの相手が、こうしてやってきたというわけさ。」

  時代と合ってないようではありますが、殿上人が上がれるとこを内裏、それ以外の官吏が勤めてる場所を含めて大内裏と表記してます。登場人物の口調もそれっぽくちょっと変えてますです。まだまだ粗いですね。どうかどうか悪しからず。

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