京一郎は緊張した面持ちで、ローテーブルの向かい側に座る女を見つめる。
「何から話していただきましょうか。」
「・・・何から、とは・・・?」
 女はじろりと京一郎を見遣り、それからねっとりとした視線で広々としたリビングダイニングを見回した。
「ではまず、このお家にお住まいになるようになったきっかけから、かしら。」



 One more time, One more chance 番外編 1





「あの、櫻子・・・さん?」
「なんです?・・・あ」
 姿勢を正し、ちんまりとソファに腰掛けていた櫻子は、花柄のバッグを膝の上に置くと、ごそごそ掻き回した。
(面倒なことになった・・・)
 白いブラウスに仕立ての良いワンピースを纏った愛らしい女子中学生を眺めながら、京一郎はこっそり溜息をつく。
 妹がそのうち遊びに来るとは聞いていた。しかしまさか今日であるとは、さすがに聞かされていなかった。言ってなかったかしらととぼける母の声が、あれほど憎らしく感じられたことはない。伯父が出張のついでに実家へ寄ったところまでは知っているが、彼に妹がついて戻って来るなど、寝耳に水だ。
 そして。
 清純派女子中学生の体で現れたはずの櫻子は、鞄の中からじゃらじゃらしたストラップの複数ついた携帯電話を取り出す。
「あ、ヒナ?そうだからいまトーキョー。マジだっつの。アニキが変なオンナのヒモしてるっていうから、えヒモ知らないの?ググれググれ。・・・渋谷?うーんまーアニキに案内させるかぁ。じゃ。うん、またね。」
「え・・・・・・」
 開いた口が塞がらない、とはこういう時に使うのだろう。
 それまでのお高くとまった口調もさることながら、恐らく友人であると思われる相手との砕けた喋り方に、京一郎は世界が崩壊したかのような衝撃を受けた。
「ぁあの・・・櫻、子・・・?」
 恐る恐る声を掛ける。
 ぱちんと二つ折れの携帯を閉じると、友人相手にぺらぺら早口でまくし立てていた彼女は、母親に似た凄味のある笑顔でゆっくりと応えた。
「なに?お兄さま。」
(わぁ・・・)
 たった半年会わないでいるうちに、こんなに変わってしまうものだろうか。いや、これまで帰省していたときにも、彼女は既にこうだったのかもしれない。京一郎の前では猫を被っていただけで。まさに今のように。
「いまの電話、友達の子?」
「そう。同じ部活で仲のいい子。今日プリ撮りに行かないかって誘われたけど、お兄さまに会いに東京に来てるって言ったら羨ましがってたわ。」
「そう・・・」
 にっこりと微笑まれ、早くも圧倒されて勝てる気がしない。
(いやいや、ここで兄の威厳を保たないと、これからそのうち女子高生になってしまうんだから、櫻子は!)
 数年後の彼女にはさらに勝てる気がしないから、今のうちに少しでも己のポジションを上げておかねば。でないといったいどうなることやら。
「だけどね、櫻子。こんなこと言うのは私も気が引けるわけだけど、言葉の使い方が、少し乱暴なんじゃないかな。」
「どこが。」
 一瞬にして眼光鋭く京一郎を射抜く櫻子。末恐ろしい。
「・・・だから聞こえてしまったけどね、ヒモ・・・だとか言っていたのは、わ私のことなんだろう?それは、兄に対して、礼を失する物言いじゃないか。あと、ぁアニキ、とかって・・・」
「お言葉ですが、お兄さま。」
 妹は極限まで背筋を伸ばし、上から兄を見下ろすようにして威圧してくる。
 彼女よりも座高だって高いはずの京一郎は、しかし思わず片目を瞑った。
「ならなぜ、あのかわいらしい小さなお部屋を出てしまったの?櫻子はいつか東京に出てきたときにはお兄さまと一緒に暮らすつもりだったのよ。それが急に、ルームシェアするから引っ越すですって?」
「櫻子・・・」
 そんな可愛い理由で怒っていたのか。
 一瞬京一郎の頬は緩んだ――が。
「ルームシェアなんて嘘!どうせ女と同棲してるんでしょ、って思ってたら、なんかこんな高そうなマンションに住んでて!マジで年上の女に騙されてるし!どうせ毎日エロいことばっかりしてるんでしょ!超キモイ!」
 投げつけられる罵声に京一郎は言葉を失った。取り繕っていた言葉遣いはいつの間にか、先ほど彼女が友人と交わしていたときのような砕けたものに変わっている。
 一方の櫻子は己の権幕と言葉の強さに興奮し、両こぶしでどこどこと両脇の座面を打った。
「あームカツク!で?その女いまどこ?マジ許さねーし一発ぶん殴ってやる!!あ、お兄さまもムカツクからぶん殴らせて!」
 急に立ち上がると、ソファを殴っていた両こぶしを今にも兄を襲わんと震わせ、櫻子は京一郎へゆらりと近づいた。
「え、櫻子、ちょ待って。」
 京一郎は慌てて妹を落ち着かせようと立ち上がる。
「オラ歯ァ食いしばれ!」
(誰にそんな言葉教わったの?!)
「お前何か勘違いして、ね待って櫻子!」
 細腕が兄めがけて振りかざされた時。
 かちゃり、と音がして、リビングダイニングの戸が開いた。
 はっとして櫻子が振り向く。
「あぁ、もう来ていたのか。」
「・・・伊織ぃ・・・・・・さん。」
 花束を抱えて帰ってきた千家は、穏和な笑顔を湛えて櫻子の前に出た。
 思わず京一郎はその後ろに回る。
 いいタイミングで帰ってくれた。念のため妹が来ることを彼にメールで連絡しておいて良かった。
「あ・・・え・・・?」
 凶暴な小型犬のようだった櫻子は、急に現れた男性を目の前にして慌てて拳を背中に隠し、しどろもどろになっている。
「君が、京一郎くんの妹さんかな。初めまして。千家伊織です。」
 柔らかな声で自己紹介して、千家は優雅に色白の右手を差し出す。
「ぇ・・・」
 櫻子は完全に緊張しているらしい。辛うじて背中に回した手を両脇に降ろすことまでは成功したようだが、そこから手を差し出すことができないでいる。突然現れた美麗な男性に心を奪われていることは明白だった。
(こんな、一回り以上年下の女の子まで魅了してしまうんだもんなぁ・・・)
 妹の様子がひとまず沈静したらしいことに安堵しながら、京一郎は千家の美貌が妹までも虜にしてしまったことに、嬉しいような少しだけ腹立たしいような、うまく言えない感覚にもじもじした。
「ふふ。照れ屋さんだね。」
「ぁっ」
 千家は兄と同じくもじもじしている櫻子の右手を優しく取り、そっとくちづけを落とす。
 物語に出てくる王子さながらのキスは、和装ながらあまりにも様になっていて、京一郎は思わず千家の羽織の裾を強く引いた。
 一方の櫻子は目を見開き、両手で口を押えつま先立ちして固まっている。手の隙間から小さく、ひぃぃという高い声が漏れ出た。
 振り返って口の端を上げた千家を軽く睨んでから、京一郎は妹に近づき、肩にそっと手を乗せた。
「ほら。お前は自己紹介もできないのかい?」
 その手を強く振り払い、真っ赤な顔で櫻子は小さく叫んだ。
「柊京一郎の妹です。櫻子です・・・!」
 振り払いながらも兄の手は握って離さない。少しだけ震えながらそっと京一郎を窺い、それから意を決したように続けた。
「・・・兄を誑かした女はどこですか?センケイオって言うらしいんですけど!私はその女を何とかするために来たんです!」
 半ば泣きそうな様子で迫られ、千家は困ったような顔をした。
「センケイオ?さて。私は知らないが、京一郎くんの彼女・・・かな?」
(そういうこと、よく言うよ。)
 千家の白々しい態度に溜息を吐きながら、京一郎も訊く。
「私もそんな名前の人知らないよ。いったいどこで聞いたんだい、その名前。」
 すると櫻子は顔を上げて、きっと兄を睨みつけた。
「お兄さまがメールに書いてきたんじゃない!雑誌の連載してたから、お母さま知ってるのよ!華道のセンケ先生とルームシェアしてるんならサインもらってきて、って、ほら、重ったいのに雑誌持たされて大変だったんだから!」
 そしてボストンバッグから花の写真が大きく写った雑誌を取り出し、ローテーブルに叩きつけた。天板のガラスが割れるのではないかと、京一郎は冷や冷やした。
「でも泥棒猫のサインなんて、絶対もらってやらない!櫻子のお兄さまを誘惑した女なんて、ぶん殴ってやる!」
 櫻子は一気にまくし立ててると、ふぅ、と息を突いた。
 その様子を目を丸くして眺めていた千家は、やがてくつくつと笑いだす。
 仕事から帰ったらいきなりこれで申し訳ないな、と京一郎は頭を掻いた。すると千家は徐に京一郎の傍に近づき、そっと腰に手を回した。
「ぇ、伊織、ちょっと」
「櫻子さん、それでは、私が君に殴られなくてはならないな。」
「・・・え?」
「伊織、さん、なに?」
 妹の前で何をする気だ、と慌てて離れようとする京一郎を、千家はなおのこと強く引き寄せた。
「泥棒猫の華道家とやらは、どうやら私のことのようだ。」
 櫻子は呆然としている。
(あ、そうか。)
 せんげ、ではなく、せんけ、と読んでしまっているのだ、母も妹も。そしてなにがどうなったのか彼女らは千家のことを、いおと言う名の女性だと思い込んでいたというわけか。
「大切なお兄さまを取られて怒る気持ちは分かる。私も子供の頃は姉にべったりだったからね。しかし私にとっても京一郎くんは大切なルームパートナーなんだ。」
 ぎゅ、と後ろから抱き締められ、不意に先日の房事のはじまりを思い出す。おかしな感覚が身体を支配しそうになり、京一郎は慌てて千家を押し返した。
「伊織さん、そういうことをすると、妹が勘違いしてしまいます。」
 くすり、と笑い、千家は京一郎の耳元に唇を寄せて続ける。
「私が忙しい時などには食事など用意してくれて、本当に助かっている。まだ良い相手もいないものだから、正直、いま京一郎くんを連れて行かれては、とても困るんだ。」
 良い相手とは、いったいなにを指しているのか。取り繕うための方便だとしても、その言葉は小さな棘のように京一郎の胸に残った。
「そ、・・・ういうわけだからさ、私は女の人と暮らしてるわけじゃないんだ。分かってくれた、かな・・・?」
 なんとか千家の腕から抜け出し、京一郎は妹の顔色を伺う。
 櫻子は、千家にキスをされた時よりも頬を赤くして、こちらを上目遣いでちらちらと見ていた。これは、やはり勘付かれてしまったか。それともそんなわけないと思い込んでくれているのか。
「ねぇ、櫻子さん。君が私を殴って気がすむのなら、喜んで殴られる。だから、君のお兄さまを少し、私に貸してくれないか。」
 千家はすすと櫻子の前に寄り、背を屈めて目線を合わせた。
「わ・・・」
 そしてふわり、と笑う。
「・・・わかりました」
 息を吐いてすらいないような小さな声で言うと、櫻子は後ずさった。
「お兄さまが、年増女とふしだらな男女関係を結んでいるわけではないことがわかったから、それでいいです。」

 夕飯は伯父の家で一緒に、とのことだったので、櫻子を送りがてら京一郎は伯父の住む一軒家へ向かった。
 伯父の家では彼女は終始行儀良く、清純派女子中学生を見事に演じて見せていた。まだ子供のいない伯父夫婦は櫻子を娘のように可愛がっており、彼らの強い希望で、彼女はそのまま泊まることになっている。京一郎は翌日、渋谷に行きたいという櫻子のお供をする予定だ。
「じゃ、明日は昼前には迎えに来るから。ゆっくりお休み。」
「うん・・・」
 別れ際、京一郎は何やら元気のない妹の頭をそっと撫でた。
「疲れた?」
「・・・ねぇ、お兄さま。」
「なんだい?」
「明日、伊織さんも一緒に来る?」
 見上げた瞳が熱を孕んでいるように見えて、京一郎はどきりとする。
「・・・どうして?」
「別、に・・・。」
 来て欲しい?と聞こうとした口が、どうしてか動かなかった。
 たかが中学生じゃないか。彼女がいくら色目を使ったところで、千家が目移りするはずがない。
 だというのに。
「お休みなさい。」
 俯きがちに、櫻子は玄関の扉を閉めた。
 かちゃ、と鍵をかける音。
 櫻子ちゃんお風呂入って、と伯母の声。
 はぁい、と可愛らしい声がして、扉の向こうの人気が無くなる。
(伊織に来てくれというのは簡単だ。明日は確か夕方まで予定もなかったはずだから、妹のお願いだと言えば来てくれるかもしれない。・・・だけど)
 いいじゃないか。少しくらい、妹が千家に気を取られたって。
 千家が妹に構ったところで、どうということはないはずだ。明日の夕方、彼女は実家へ戻るのだから。何も問題ない。
 だというのに、なぜだか胸の中がもやもやする。
 しばらくの間、京一郎は扉の前に立ち竦んでいた。

  田舎でも結構女子中学生はおっとりしてなかったりするよね、っていう。駅前のスーパーにプリクラ取りに行くのが”遊びに行く”の代名詞だったりするようです。最近のプリ機はデフォルトで目がデカくなったりしてびっくりします。
  あれ櫻子さんってもっと若い???・・・とりまここでは中1くらいの設定でおにがします。

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