スケッチ: 日本間・夏 



 時折そよ吹く柔らかな風の揺らす木漏れ日が、絹のような髪の上で仄明るくはぜる。
 薄物の羽織にふわりと載る射干玉は、闇色のはずがまるで透き通っているかのように思われる。
 濡れ縁にうずくまる猫はちょうど零れ落ちた陽の光の下に目を瞑り、当分起き出す気配もない。
 息遣いすらも聞こえない、静寂――。
 否。
 喧噪だとか或いは音楽だとか鳥の声だとか、ここにはそういったものがない。が、穏やかな陽射しに間間ちょっかいを出す悪戯な風や、それに薄められつつ届く緑の熱れや、室内に注ぐ鈍い光を反し踊る微細な塵は、私の五感を十二分に刺激する。
 静寂とはこれほどまで騒がしく楽しいものであったのか。
 音を出さぬよう注意しながら呼吸すると、表を替えたばかりの藺草の爽やかな薫りに暑さを忘れる。
 たかだか8帖かそこらに区切られた日本間は、この心地良い空気を閉じ込めたまま外界から分離され、どこか知らない場所、たとえば宇宙に、ぷかぷかと浮かんでいるのではないかという気さえしてくる。
 時を止め、彼と私と花と、それからついでに猫だけを載せて――――。





 ぱち。

 その音に、私は世界が静止しているわけではないことを思い出す。
 唯一具体的に鳴らす、花鋏。
 色白の指先が流れるように最後の一本を剣山へ挿す。
 彼の手から、また一つ小さな世界が生まれた。
 涼し気な花器から零れ落ちる花々は愛らしくもどこか凛と、今まさに萌えたような青葉は伸びやかに生命を滴らせ。

 つい漏れた溜め息に気付き、切れ長な瞳が私の姿を映す。
 長い睫毛がゆっくりと上下し、朧な逆光が私へ手を伸べる彼を不思議と明るく照らす。
 その洗練された所作なのか、類稀の美貌なのか、柔らかな声なのか、向けられる情なのか、交わす欲なのか・・・・・・――――。
 私を魅了する所以は何が最も割合として大きいのだろう。

 など考えながら、私は彼の唇に触れた。


<了>   
  前回以上にまったくもって雰囲気SSですた。 夏の日差しと風と日陰と、京一郎の視線に焼かれそうな伊織さんの背中を感じていただければ。
  

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