One more time, One more chance 1(拍手お礼より)



「なに聴いてんの?」
 友人がスマホを覗き込む。
「またそれ?好きだね。」
 好きか嫌いかと言われたら、好きなのだろう。再生回数はこのスマホに変えてから、もう1000回を超える。
「でもさ、ちょっと世代じゃなくね?親が好きなの?山崎まさよし。」
 親はポップスを聴かない。だから親の影響で知ったわけではない。しかも、山崎まさよしの曲はこれ以外に知らない。
「ほかにも結構いい曲あるって先輩が言ってた。」
 世代じゃない彼もまた、詳しくはないのだ。
「来週は昼、R奈ちゃんと食うから。じゃ、また。」
 R奈と彼は最近特に親しいらしい。
 同期の間では、付き合い始めるまで秒読み段階なのではともっぱらの噂だ。
 もし彼らが恋人同士になれたのなら、この曲の歌詞のような、哀しい思いはしないで欲しいと思う。出てくる"僕"と"君"の間に何があったのかはわからないけれど。

 私がこの曲を知ったのは、高校受験の頃だ。
 気晴らしに入ったCD屋の試聴コーナーに、新作でもないのに設置されていて、「不朽の名作」と手書きのポップが添えてあったから、なんとなくヘッドホンを耳に当てた。
 アルペジオ気味のアコースティックギターのメランコリックなイントロに、どこか懐かしさを感じさせるオルガンが続く。

――これ以上何を失えば 心は許されるの
――どれ程の痛みならば もういちど君に会える

 歌手の包み込むような切ない声に、2フレーズで涙がこぼれた。
 そんな自分に驚いて、慌ててヘッドホンを戻し、店を飛び出した。
 失恋の歌であることはすぐに分かったけれど、だからといって何故泣いたのだろう。私はこれまで、恋など、一度も知らなかったはずなのに。
 共感というものは、想像だけでも生まれることがあるのだろうけれど、その度合いは、やはり少しでも近い経験をしている方が強くなると思う。
 そして当時の私は、身を焦がすような恋はもちろん、誰かに淡い恋心を抱いたことすらなく、また誰かを身近に喪ったこともなかった。両祖父母は健在で、伯父伯母も従兄弟たちも皆、壮健だ。
 飼っていたペットが死んだことはあったけれど、それだって仕方ないと諦めることができたし、だから、こんな歌を歌うような気持ちなど、過去に一度だって味わったことはなかったはずなのだ。

 冒頭の数十秒であんなに取り乱してしまったため、最後まで聴いたら何が起こるか恐ろしくて、私は無事本命の高校に受かってからも、この曲を聴くことは意図的に避けていた。
 聴いてしまったら、私の知らない何かが身体の中から溢れてきそうで、そうなったとき、何かが壊れてしまうような気がしたから。

 そうやって避けてきた私がこの曲を最後まで聴いたのは、高校2年の時だ。
 ある日のロングホームルームで映画を観ることになった。担任教員の強い勧めで鑑賞したそのアニメーション映画は、時とともに変わってしまう少年と少女の関係を、美しい映像とともに描いたものだった。
 とても良い作品だったと思う。
 だが、その作中に使用されていたのが、この曲だったのだ。
 あっ、と思った時には遅かった。
 突然立ち上がった私を気にするクラスメイトは居なかったし、だからそのまま出て行けば良かったのに、目が、耳が、そこから離れなかった。
 そして映画が終わって、私は号泣していた。もちろん、ほかにも泣いている生徒がいたから特別に目立つことはなかったが、それでも友人たちからは多少心配されるくらい、息が苦しくなるほど泣いた。

 それから少し落ち着いた私は、受験生時代よりいくらか成長していたから、己のこの異常な反応を分析する必要があると思った。そこでCDを買い、歌詞を熟読し、それらと己の過去とを照らし合わせ、何か符合するものはないかと探した。
 けれど結局のところ、私には生まれてから十余年の間に思い当たる節がなく、両親や祖父母にもそれとなく過去の恋愛経験について聞いてみたが、そこまで参考になるような話はなかった。

 それ以来、私はこの曲を聴き続けている。
 何か、私の根源に関わる大切なものが、この歌に共鳴しているのだと信じて。


 友人と別れた後、駅へ向かって歩いていると、向かいから来た人の肩にぶつかった。
 ぼんやり曲に耳を傾けていたから、うっかり相手の進路を塞ぐように斜めに進んでしまっていたようだった。
 イヤホンがジャックから抜けてスマホが道に転がり、スピーカーから音が鳴る。

――いつでも捜しているよ どっかに君の姿を

「あぁ、すみません。画面が割れてしまっていないかな。」

――向かいのホーム 路地裏の窓

「いえ、大丈夫です、私がぼうっとしていたので。ありがとうございます。」

――こんなとこにいるはずもないのに

「そうですか。では、気をつけて。」
 優雅な手つきで私にスマホを拾って渡したその人は、柔らかく微笑むと行ってしまう。

――願いがもしも叶うなら 今すぐ君のもとへ

 胸の奥が騒つく。
 心拍数が上がる。
 彼の背を眺めながら、私は今まで味わったことのない焦燥感に苛まれていた。

――できないことは もう何もない

 行ってしまうあの人を、いま呼び止めないと後悔する、そんな気がしてならない。
 会ったことなんて、無いはずなのに。あの人が誰だか、全然、見当もつかないのに。

――すべてかけて抱きしめてみせるよ

「・・・ぁあの!」
 長い髪をふわりと翻して、着物を纏ったその人は振り返った。
 男性にしては色白の膚、長い睫毛に縁取られた切れ長の目、花束を大切そうに抱える細長い指先。
「どうかしましたか。」
「ぁ、いえ・・・、あの・・・・・・。」
「・・・その曲、私も好きですよ。」
「あ、・・・え?山崎まさよし?」
「そう。後悔と哀しみに苛まれるけれど。」
「・・・・・・」
 そのときその人の瞳に宿った感情は、初めて私がこの曲を聴いたときのように、私の中を強く揺さぶった。
「・・・まぁ、そう思う人が多いから、この曲は長く愛されているのだろうな。」
 彼はそう締め括って、会話を終わらそうとしているように見えた。
 しかし私はもう少しこの人と話を続けたくて、おかしなことを聞いた。
「この辺りにお住まいなんですか?」
「私ですか。ええ。教室がすぐそこなので。」
 教室とは、と聞こうとすると、彼は気付いたように懐に手を入れて、忙しなく振動する携帯電話を取り出した。
「おやおや、急かされてしまったな。・・・では。」
 仕事の用だったのだろうか、私に軽く会釈すると、電話に出ながら行ってしまう。
 私は彼を追うか追うまいか一瞬迷い、その間に彼は角を曲がって見えなくなってしまった。

「大丈夫、この辺りに住んでいるなら。」
 この辺りとは、いったいどこからどこまでを指すのか。
「・・・またきっと会える。」
 口に出してそう言うことで、私は不安に高鳴る胸を鎮めようとしたのだった。
  歌詞はもちろん山崎まさよしの名曲から。

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