One more time, One more chance 2(拍手お礼より)



 あの日、私は確信した。
 私もまた、捜していたのだ。
 何を?
 言うまでもない、あの人をだ。
 根拠はない。しかしあの人が行ってしまったとき、視界から消えてしまったとき、あの曲の言葉が私の中でぴたりと符合したのだ。

 彼に会ったのは私の知る限り初めてだけれど、きっとそうではない。おそらく私が忘れてしまった過去に、あの人と会っているのだ。
 女性ではなかったから、恋愛関係ではないだろう。というかそもそも、私の記憶に残っていない過去であるのなら、恋とか愛とかそういう感情が発達する以前の時期だ。例えば幼稚園生のときとか。
 彼はかなり落ち着いた雰囲気だったから、歳は5、6歳以上私より上だろう。

 彼と出会ったあの街は、普段あまり歩かない。大学の講義が終わった後、仲の良い連中と溜まるのはもっぱら学内のラウンジだし、この間は、デートスポットとして人気の店に行ってみたいからと友人に頼まれて付き合った帰りだったのだ。
 あの界隈に行けば、また会えるのだろうか。

「あれ!今日はいいって言ったじゃん、なんでいんの?」
 先日の喫茶店で昼食を取っていると、私を見つけたTがそそくさと近づいてきて小声で文句を言う。
「君の都合なんて知らないよ。昼はここって決めたんだ。君たちの邪魔をするつもりはないから、君も私の食事の邪魔をしないでくれる?」
「R奈ちゃんがお前を見つけて、一緒に食うとか言い出したら困るんだよ。」
「そしたら私は用があると言って退散するよ。それでいいだろう?」
 彼は不満そうに鼻を鳴らし、くれぐれも邪魔するなと釘を刺して行った。

 正直、私はそれどころではない。
 この店は、あの人と出会った場所からそう遠くない。だから、ここに来ることだってあるかもしれないのだ。
 店に客が来るたび、彼ではないだろうかと確認し、店を出る客がそうかもしれないとまたレジを見遣る。回転の速いこの店でこんなことをしていると、うかうか食事もできない。

 結局1時間居座っても彼が現れることはなかった。
 友人をちらと見ると、楽しそうに談笑している。うまくいきそうじゃないか。私のことなんか気にすることないのに。

 私は店を出ると、駅に向かってぶらぶら歩き始めた。
 音楽を聴いているとどうしても注意散漫になってしまうから、イヤホンは片側にだけ着ける。
 あの時彼は花を持って歩いていた。花屋から帰るところだったのだろうか。
 この辺りに花屋がないか、きょろきょろしながら歩く。花なんてほとんど買ったことがないから、どんな感じの店舗が花屋なのかいまいち想像できず、いちいち店を凝視しながら歩くので、道行く人から不審そうに眺められる。
「・・・あった」
 やっと見つけた花屋は、とても小さな、明らかに個人経営の店で、細長で奥が薄暗い店内は覗きづらい。
 彼はここで花を買ったのだろうか。
 あれは、誰かに渡そうとしていたのか、それとも家に飾るつもりだったのか。人に贈るにしては包装が簡単だったようにも思うから、家用だったのかもしれない。
「何をお探しですか?」
 ぼんやりと店の前の花を眺めていたら、若い女性が出てきた。
「あ・・・」
「花束なら、ご予算に合わせて作ります。」
「あ、家用、なんですけど・・・」
 買わざるを得ない雰囲気になってしまい、咄嗟に言い繕う。
「コップとかに飾れるタイプなら、お求め易いのもありますよ。」
 これなら800円、と言って見せられたのは小さな花束で、正直道端で摘んだ花を軽く纏めたくらいのボリュームしかない。たったこれだけでその値段なら、先日彼が持っていた花はいったいいくらしたのだろう。
「・・・結構高いんですね。」
「お花は生ものだから、皆さんが思ってるよりは高級品なんです。あ、でも気軽に買って欲しくてこういうお得なの出してるつもりなんですけど。」
 そうは言っても今日はランチプレートに1150円も出してしまったのだ。その花束を買うとしめて2000円弱。学生にはきつい出費だ。
 私の渋面に、女性は手を合わせて上目遣いで言った。
「じゃあ特別に650円に負けてあげる!どうですか?」
 こうなると弱い。女性の商才には頭が上がらない。
「分かりました・・・」
 売れるとなると、嬉しそうに彼女は己のことを喋り始めた。この店は実家で、けっこうカツカツでやっているのだ、とか、でもリピーターもいるからアレンジメントの腕は悪くないはず、とか、近くの華道教室に懇意にしてもらっている、とか。
 ふと思いついて、私は聞いてみる。
「背が高くて髪の長い、和装の男性が来たことって、あります?」
 すると、彼女はにっこり笑って言った。
「華道の千家先生のことでしょ、お得意様です。」

 その日は結局、花を持ってすぐ帰宅し、アルバイト先へ向かった。花屋界隈を散策したかったが、時間がなくなってしまったのだ。
 しかし、思わぬ情報を得られて私は満足していた。彼の名は、千家というらしい。しかも、教室と言っていたのは華道教室のことで、彼がそこで教えているらしいことも分かった。
 ネットで検索すると彼の下の名までは出なかったが、住所や電話番号まで分かってしまい、なんだか自分がストーカーになったような気がしてしまった。

 しかしそこまで調べて、はたと気づいた。
 これで、彼の居所が判明して、いつでも訪ねて行くことができるようになったわけだが、何と言って会えばいいだろう。
 突然、貴方のことを知っている気がするんです、なんて言ったら、ちょっとおかしな人間だと思われるに違いない。かといって、これまで特に華道に興味があったわけでもないから、突然入門するというのも気が引ける。きっと、肝心のお華より講師の方に気が行って、やはり不審がられるに違いない。
 調べるだけ調べた割に、いざとなったら及び腰の自分にはうんざりする。妹にかつて言われた、お兄ちゃんはいっつも肝心な時にうかうかしはじめるから、という叱責が、耳にこだました。

 けれど次の週、結局私は特に覚悟も決めず、特段の用もなく、持ち前の好奇心だけに突き動かされて、彼の教室の前まで来てしまった。
 そして今、「華道教室 生徒募集中」の貼り紙にそわそわしている。
 ランチどきもひと段落した頃、教室にはぞくぞくと人が集まり始めた。近所の主婦と思われる者から、休日の自分磨きといったOL風の者。多くが20から50代と見られる女性で、男性の姿はほとんど見当たらない。
「これでは、私が行っても浮くだけだ・・・」
 ひととおり教室に入って行く面々を観察してから独りごちて、私は教室に背を向けた。
 ぽつり、と腕に水滴が当たる。
 見上げると、どんよりとした空が、今にも雨を降らそうと待ち構えていた。
 今日は折り畳み傘を持っていない。
 駅までの道を急ぐ。その間にも雨脚はどんどん強まり、大粒の雫は綿のシャツに染みを作ってゆく。
 突然、バケツをひっくり返したように、にわか雨は豪雨に変わった。
 駅に着くまで、横断歩道をいくつか渡るはずなのだが、数メートル先もよく見えないほどの雨に、今自分がどこに居るのか分からなくなる。
 取りあえず何かに掴まるべきかと、目の前にあった棒のようなものに触れた。公園の看板だった。
 奥を見遣ると、東屋があるようだ。
 ひとまずそこで、雨を遣り過ごそう。
 私はちょっと浸水しているのではないかと思うほど雨水に覆われた土の上をばしゃばしゃ走って、屋根の下へ駆け込んだ。
「酷い目に遭った・・・」
 濡れた身体を拭こうにも、鞄の中まで濡れていて、もはやタオルハンカチは濡れタオルよりも酷い有様だ。
 とにかくハンカチと服を絞り、肌の水をぬぐっては絞ることを繰り返した。
 自分の世話に必死で、また雨音があまりに凄まじかったから、私は一息つくまで、そこに人が居るのに気づかなかった。
 私のいたのと反対側のベンチに腰掛けているその人もやはり全身ずぶ濡れで、しかも和装のため濡れた布が身体に貼り付いて、途方に暮れているようだった。
「こんなすごい雨になるなんて、驚きました。」
 近寄って、声をかける。
「本当に。天気予報は当てにならないものです。」
 振り返って苦笑するその人は、私の捜していた、彼だった。

  

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