平安パロディ(タイトル未定) 2


 小鳥の囀りが目覚めを促す。
 ごとごとという振動がないのは、牛飼童が休憩でもしているのだろうか。
 差し込む日が少し辛い。ぐっすり寝てしまったが、それでもいつもと比べて少し浅かったようだから。
(昨夜寝たのは・・・)
 思い出そうと寝返りを打つと、床板に腕が当たった。
「・・・ん?」
 そこでやっと見慣れない建物の一室に己が居ることに気付き、記憶を必死に辿る。
(兎を追いかけて、とても美しいひとに出会って、それから・・・)
 思わず飛び起きた。
 その美しい男はあのとき徐に手を引いて、己の唇に・・・
「う・・・ん」
 不意に聞こえた声に、振り向く。
「あ、れ・・・?」
 しかしそこに横たわっていたのは、瑞々しい色気を携えた美しい貴公子ではなく、あどけない表情で寝返りをうつ、禿の童子だった。
 身につけている水干は上質で、菊綴が可愛らしい。
(誰なのだろう?この屋敷の子供だろうか。でもここには人は・・・)
 くしゅ、と小さくくしゃみをした。梅雨に入ったばかりで、まだ朝夕は多少肌寒い。掛けてやる衣はないだろうかと周りを見渡していると、ころりと寝返った童は小さく呟いた。
「ん・・・"びゃく"」
 とと、と床を小さく鳴らす音が響き、白いものが跳んでくる。昨夜もいた、あの兎だ。
 ふわふわした獣をきゅうと抱きしめる子供の、なんと愛らしいことか。大きな兎と並ぶとまるで人形のようだ。頬が緩む。
 朝の光の中、色白の膚と健康的な髪、質の良い布に包まれた、作り物のような男童。
 思わず髪を撫ぜる。目を閉じたまま少し微笑んでから、ふわりと上がった瞼の下から現れたのは、宝石のような紅い瞳だった。
「若君か。昨夜は休めたか?」
 子供は唐突に口を開いた。その口ぶりはあたかもこちらを知っているかのようだが、こちらに覚えはない。
「・・・貴方は、・・・若菫の君の御子息ですか?」
「何を言っている。昨夜ここで私と話したのを忘れたか。」
「貴方と?」
 童をまじまじと見つめる。歳の頃は7つか8つだろうか。
 しかし昨日ここで話した相手は、元服をとうに迎えた青年だった。
「私のことを妖だ何だと言っていたではないか。」
「え・・・」
 まさか。
 いや、・・・やはり?
「貴方が、・・・若菫の君?童子に見えますが。」
「以前はそう呼ばれていた、と言っただろう。」
 眠そうに答え、くぁ、と欠伸をした。
 言われてみれば、短くはあるが艶やかな髪はどことなく菫色の光を放ち、色白の膚と相俟って若菫、とは言い得て妙だと思えてくる。これが、彼の本当の姿なのだろうか。だとすれば、昨日のあの若者姿はいったい・・・?
「うん?いま、童と言ったか。」
「はぁ。」
「私は童なのか?昨夜は直衣を着た殿方と言っていなかったか」
「貴方は水干をお召しの童のよう、ですけど。」
 むくりと身体を起こすと、若菫の君は首を傾げた。
「あれから随分と時が経っているはずなのに。やはり私は死んでいるのか・・・?」
 少し寂しげに目を伏せる様子も愛らしく、いかにも哀れを誘う。
 つい、また禿の髪に手を伸ばしかけたとき。
――そう考えるのは早計だ、主。
 不思議な音が聞こえた。
 風がひょうと吹くような、枝葉の擦れるような。
 見回してみても、人らしきものは目の前の童以外見当たらない。
 しかし考えてみれば、この若菫と名乗る童も本当に人かどうか怪しいものだ。昨日の青年がこの童と同じだとすれば、なおさら。
「どういうことだ。」
 平然と応えた若菫の視線は、腕の中の白兎に注がれている。
――昨夜、その男は主の姿を見た。そしていま、主を昨夜見た主の”子”かと尋ねた。
 どうやらこの音は、兎が発しているようにしか思えない。しかし獣が人語を発するだろうか。
「だから?」
 男童は全く動じることなく、あたかも人と話すように、兎に相槌を打っている。
――その男の見たのは主の育った姿だ。死人は育たない。育った姿を見る者がいるということは、主はやはり生きているのだ。
「・・・あの、妖として育ったということは、ないのでしょうか。」
 恐る恐る口を挟むと、耳元で少し高い音が鳴った。
――無礼ぞ、なれ。
「わあ!」
 いつの間にか肩の上に、雀のような大きさの黒い獣が乗っていた。
「ははっ。小さな"こく"にも驚くとは、貴方は臆病なのだな。」
 若菫の君が嬉しそうに笑う。
 よくよく見るとそれは、昨夜、青年姿の彼の懐に隠れていた、小さな黒兎だった。
「・・・突然耳元で話しかけられたら、誰だって驚きます。何なんです、この兎たちは。獣が人語を話すなんて前代未聞です。」
――臆病の君よ。我らの声を聞く者よ。我が名は黒月(つきのきゆるまで)。主の式神ぞ。
 小さな兎にまで臆病と言われては黙っていられない。
「貴方こそ無礼ですね、つきのきゆるまで。私にはちゃんと二親から授かった名があります。」
 少し強く言うと、若菫の君はゆっくりと頷いた。
「確かに、まだ聞いていなかったな。それで?貴方の名は。」
「・・・おいそれと、他人に言うわけにはゆきません。」
「私を、ひととは思っていないのだろう?」
 口の減らない童だ。
「ひとでないのなら、なおさら名を告げた途端に命を取られるかもしれないですね。」
「おやおや。可愛げのない若君だな。」
 子供の成りをして、可愛げのないのはどちらだ、と思う。
「いいだろう。では先に私の名を教えてやる。」
 若菫の君は、不敵に微笑むと、居住まいを正した。
「・・・え」
「私の名は、伊織、という。姓は、昨夜話した通り、記憶を封じられて知らない。」
「あの、」
「さぁ若君よ。私の名は言ったぞ。貴方の名は?」
 及び腰になる。相手に名乗らせておいて己は名乗らないというのは、どうしても非礼に当たるように思えてならない。しかも、本当に人間なのであれば、この童はきっと己などよりずっと上の位の家の子だ。身に着けている衣服は上質だし、話し方からは知性を感じる。学を与えられる身分は限られる。
 そもそも、昨夜の妖しげな男はともかくとして、この童については今のところ、おかしなことを言っているのと兎と会話していることを除けば、人間であることを疑う要素がない。
 ただこちらをからかっているだけかもしれないのに、変に警戒して下手をすると、これから世話になる伯父にまで類が及ぶかもしれない。
「貴方の、名は。」
 不思議な童は、大きな紅い瞳で見つめる。吸い込まれそうな瞳は幻惑を誘うかのように思われたが、陽の光に輝いて赤い桜の実のようだった。
「・・・分かりましたよ。」
 降参だ。あならうたし、若菫。
 式神を連れた正体不明の童に名を明かすなど正気の沙汰ではないが、どうしてか、彼らが悪いものだとは思えなかった。
「田舎の父のことは、都の人は御存じないでしょうから言いませんが、私は式部大夫の甥、京一郎と申します。」
「京一郎、か。なるほど。都へ出てくるわけだ。」
 若菫の君――伊織は、くすりと笑った。
「馬鹿にしておいでですか。」
「まさか。好ましく思ったのだよ、京一郎。」
「むぅ・・・」
 なにやら釈然としない気持ちを抱えて仏頂面になる京一郎を、伊織は面白そうに眺める。
「ついでだから教えるが、この大きい方の兎は白月(つきのみつるまで)という。黒月もどちらも長い名なので、”びゃくぐゎつ”と”こくぐゎつ”と呼んでいる。」
「貴方は陰陽師なのですか?陰陽師は式神を使うと聞いたことがあるけれど。」
「わからない。気づいたときには兎たちが側に居て、私の式だと言うからそういうことにしているだけで、そもそも式神など呼んだ覚えがない。」
 そう言って伊織は白月の背を撫ぜた。気持ちよさそうに目を細める兎は、やはり悪いものには見えない。
――私も貴方を好ましく思っている、京一郎。
 伊織の腕の中で鼻をもぐもぐさせながら、白月は京一郎を見た。
「・・・なぜです。」
 問うと、京一郎の肩に乗ったままの黒月が応える。
――なれにより、主に力が戻ったためだ。僅かばかりではあるが。
「・・・どういうことですか。」
 伊織を見ると、当の本人も首を傾げている。
――昨夜、主に力を分けたであろう、なれ。
「昨夜?」
 無意識に掘り起こすことをやめていた記憶が、またじわりと蘇ってくる。
 あのとき姿を現した青年は、美しく、妖しく微笑むと、京一郎の両手を握って、唇を重ねたのだった。
 思い出すだけでも顔が熱くなる。何故急にあんなことをしたのか。
「・・・あぁ、あれか。」
 伊織は思い出したように微笑んだ。
 やはり、あの男は彼だったのだろうか。それとも、ただ単にどこかで見ていたのか。
「嬉しかったか?」
「な・・・にが!」
 突飛な質問をされ、反射的に語気が強くなる。顔を赤くする京一郎を、伊織は不思議そうに見つめた。
「嬉しくないのか?ここに連れ込まれていた女は嬉しいと言って泣いていたが。」
「ぁ貴方は、誰彼構わず・・・あんなことをしているんですか?!」
「誰彼構わずではない。私の姿を見た貴方が初めてだ、京一郎。」
「だって今、・・・ぉ女を連れ込んでとか言ったじゃないですか!」
「連れ込んだのは私ではない。この邸の主だ。」
「・・・え」
 ここはこの童の家ではないのか。てっきり、この家の地縛霊か何かかと思っていたのに。
「ここは私の家の邸ではない。主は別にいる。数年前までは頻繁に使っていたようだが、ここ最近は姿を見ないな。」
 どういうことだ。この邸の主は別にいて、しかしどうやら伊織も長いことここに居るようだ。
「その・・・主の方は、ここに住んではいないのですか?」
「そうらしいな。専らここは女と忍んで会うのに使っていたようだ。それも最近はご無沙汰のようだが。」
 こんな小さな童の言う言葉とは思えない。やはり彼は人間ではないのか。
「私はこんな風になってから、ここに来る男と連れの女しか見ていないのだ。しかし向こうはこちらに気付いた試しがない。だから、私を見つけた貴方にせめてもと思って、見様見真似で女が喜んでいたことをしてみたつもりなのだが。あれではまずかったのかな。」
「間違ってますから、それ!」
「そうか。」
 言うと伊織はのそのそと四つ這いになって寄ってくる。
「な、何です?」
「では、もう一度やり直そう。」
 そして、向かい合う格好で京一郎の膝に乗った。
「・・・ぇっ」
 言い知れぬ違和感に、思わず小さく声が漏れる。
 彼の行動に対しての驚きもあるが、それより不可思議なのが、その存在感だ。
 この童は、確かに膝の上に乗っているはず。しかしまるで重みを感じない。触れれば確かに、人の感触があるというのに。
「若菫の君・・・」
「伊織と呼んで構わない。」
 狩衣の肩をくしゃりと掴み、伊織は少し目を伏せて微笑んだ。つい、どきりとする。
 そして彼は京一郎の頬を紅葉のような手で包むと、その唇に小さな唇を押し付けた。
「!!」
 驚き後ずさる頭を細い指が捉え、唇が離れることを許さない。ぶつかりそうなほど近くにある紅い瞳に、吸い込まれそうな気がする。
「あとは・・・そうだ、こうしていたな。」
 葛餅のように柔らかい舌が唇を割り、京一郎の舌に触れた。
「んん・・・」
 薄くて小さなそれは、たどたどしく奔放に動き回り、口の中をくすぐる。
 童の戯れと知ってはいながら、ふつふつと湧き上がりかける妖しい感覚に、京一郎は動揺した。
「っは、駄目です、こんな・・・ん」
 無理に引き離すと、彼も苦しかったのか一度ゆっくり肩を上下させた。
「っはぁ。・・・どうだ、京一郎。嬉しいか?」
 今度こそはうまくできただろう、と言わんばかりの得意げな笑み。
「・・・そんな訳、ないでしょうっ!・・・あのですね、こ、こういうことは、好いている相手にするものですっ」
「うん?先ほど私は、貴方を好ましいと言ったはずだ。」
「~~!そういうことじゃない!」
 伊織の脇の下に手を入れて、ぐっと抱き上げる。
「ん・・・?」
 水干の袖から剥き出しになった細い腕が示すとおり彼の身体は華奢で、少し力を入れたら潰れてしまいそうだ。
 だが、・・・――
「ならば、どういうことなのだ?」
 童は宙に浮いたまま、平然と問う。
 京一郎はそのまま伊織を床に降ろした。とん、と音がする。
「目方が・・・」
「目方?」
「今私の膝の上にいた時は、まるで空気のようだったのに・・・、でもほら、ちょっと跳んでみてください。」
 伊織は言われるままにその場でふわりと跳ねる。着地すると、はっきりと床鳴りがした。
――おお、主の姿が見える。
 兎たちが嬉しそうに、しきりに口をもぐもぐさせる。
「・・・彼らは貴方の姿が見えなかったんですか?」
「どうやらそのようだな。それで?目方とはなんだ。」
「先ほどは、貴方の重さを全く感じなかった気がするのですが・・・。でも今は・・・。」
 兎たちは伊織の周りをくるくると跳ね回った。
――主よ、姿が水に映るかもしれぬ。
 そして庭の水瓶へといざなう。京一郎も続いて庭へ降りた。
 大きな水瓶は、手入れされなくなって久しいと思われる庭の隅に、ひっそりと佇んでいた。童が覗き込むに高すぎるため、抱き上げてやると、見た目通りの重みがある。
 妖かと怪しんだ伊織の小さな顔は、京一郎の顔の下にひょっこり映って水面に揺れた。
「ほう。確かに私の姿だな、これは。久しぶりに見る。」
「本当に貴方は、ご自身の姿を知らなかったんですか・・・」
――なれにより、主の力が戻りつつあるということだ。
 京一郎の肩の上に戻った黒月が答える。相変わらず態度は良くないが、その位置が気に入ったようだ。
「力?」
――口吸いを通じて貴方の気を主に与えることにより、主に力がまた僅かばかり戻ったのだ。
 白月は鼻を忙しなく動かした。
「となると、京一郎。貴方は私をこの檻から救うためにやってきたのか?」
 伊織は抱かれたまま振り向く。細められた紅い目が童にそぐわぬ妖しい芳しさを携え、京一郎は目を逸らした。
「そんな・・・私はただ、白月に誘われて辿り着いただけですから・・・。それに、私はまだ貴方が妖である可能性を捨ててはいませんよ。」
「然り。私ですら己が何かよくわかっていないのだから、その判断は賢明だな。」
 また童らしからぬ物言い。
「それから、力って何です?やはり妖術でも使うんですか、貴方は。」
「そんなこと、できるわけがなかろう。」
 鼻で笑われる。つくづく小憎たらしい。
「まぁだが、これでやっと、薄っすら状況が見えてきたな。」
 首を傾げると、伊織は右の手を上げて指差す。
 あちらへ連れていけ、ということらしい。童に指図される覚えはないのだが、京一郎はともかくもう暫く付き合ってみることにした。
 指の先には大きな蔵があり、鍵のかかっていない扉を開くと、中からむっと埃の匂いが舞った。
「ここは・・・書庫?」
「どうだ。なかなか見ものだろう?」
 天井まで壁を埋め尽くす棚にはびっしりと書物が陳列されている。高い位置にある書を取り出しやすいよう、梯子まで掛けられている。
 京一郎は思わず感嘆の溜息をついた。
「確か、あの棚だったかな。」
 ひとつの棚に近寄り、伊織は装丁の擦り切れた一巻を取り出す。
 くるくると巻きを開くと、生霊だの呪術だの、何やら怪しげな文字が躍る。
「何です、これは。貴方はこれで妖術でも学んだのですか。」
「ほう、字も読めるのだな。」
「当然です。これから都で学ぼうというのですから。」
 そう言って、はっとした。
「そうだ、もう陽も高い。伯父の家に文を遣らないといけない。」
「文?」
「ええ。予定では、今日には到着するはずだったんです。でも、恐らくこの辺りからではまだ時間がかかるから・・・」
――それなら、我が近くの邸まで案内してやろう。そこから文を遣ればいい。
 肩の上の黒月が言った。
「助かります。だけど・・・」
 この童を置いて行くのが、どうにも後ろ髪引かれる。普通の人間でないことは間違いないが、さりとて妖やら霊魂やらの類とも違うような気がする。
 陰陽師や呪師のような知識はないけれど、昔からそういったものの気には敏感で、出来るだけ悪いものには近づかないようにしていた。そして、目の前の不思議な男童は、やはりそういった害為す類のものには思われないのだ。
「貴方も一緒に来ませんか、伊織殿。」
 京一郎の差し伸べた手のひらを、伊織はじっと見つめる。
「貴方の家を見つけることができたら、貴方が何者なのか分かるかもしれない。その、封じ・・・られたものだって、戻ってくるかもしれない。」
 手を取ろうとしない伊織の左手を、京一郎はそっと握った。昨夜の、成人した姿の彼の手は、もっと儚げで触れたら壊れそうに思ったものだったけれど、いまの姿はずっとしっかりしていて、少し安心する。
「私もできることは力をお貸ししますから。ね、行きましょう。」
 手を引くと、伊織は黙ってついてきた。
 先程まではやや横柄なほどに色々喋っていたというのに、静かな彼は何やら拍子抜けするな、などと思いながら門へ向かう。
「門を出たらどちらの方角へ行けばいいんです?」
――この時分なら、陽と逆の方向だが・・・
 黒月の語尾が躊躇いを含むことにやや疑問を感じながらも、京一郎は門をくぐる。
 昨夜あった篝火は消えていた。
「あ。沓を履いてませんでしたね。私は持っていませんが、伊織殿。」
 何気なく脇を見遣る。
「・・・伊織殿?」
 今し方まで、確かに手を繋いでいたはずの伊織が居ない。
 式神の黒月は、未だ肩の上に居る。
「黒月、伊織殿はどちらへ?」
 訊くと、黒月は聞きづらい声で言った。
――なれ、主はあの邸を出られないのだ。

  今回も初っ端からちゅっちゅしてます。なんだかとっちらかった印象だなぁ。

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