One more time, One more chance 13(拍手お礼より)



 久しぶりにサークルの仲間と会った。
 夏休み中、実家へ帰省する者も多いから、公式の宴会ではないが、東京に残っている面々で集まっての残暑払いだ。
「ねぇ、柊くん知ってた?」
 先輩が耳打ちしてくる。
「何をです?」
「R奈とTだよ。いつの間にあの子たち付き合ってたの?」
 驚いた。
 R奈に告白されてからもうひと月以上経つが、彼女がTと付き合うとはさすがに思っていなかったから。
 Tを探すと、R奈と隣り合わせの席に座っており、たまにお互いをそっと見つめて微笑んだりしている。時折、R奈がTの口元に着いた刻み海苔を取ってやったりもしている。
 Tを思えば喜ばしいことだ。
 けれど、なぜだか私は複雑でうまく言えない気持ちを抱えていた。
 R奈がTの手を取ったことに落胆しているのでも、嫉妬を覚えているのでもない。
 そうではないのだが、私に好きだと言って、たかだかひと月やそこらで他の男の愛を受け入れてしまったR奈の、言葉は悪いがその変わり身の早さというか、移り気の早さというか、そういうものを目の当たりにして、とにかく呆気に取られてしまったのだ。
 気を悪くしているのではない。二人が幸せなら、友人として嬉しい気持ちに偽りはない。
 しかしなんというか、愛だとか恋だとかいうものは、もっと深くて透き通っていて、簡単に曲がったり壊れたりしないものなのだと思っていたから――たとえば、世界を越えて千家への想いを私に託した、違う世界のどこかで激動の時代を生きたもう一人の私のように。
・・・そうまでして繋がろうとした感情は、それでも、移り気の前に消えてしまうことがあるのだろうか。
 私のことを忘れたくなくて私の名を呼ばない千家は、そのうち記憶にこだわっていたことなど忘れてしまうのだろうか。
 ずっと千家を求めていたはずの私は、いつか、まったく関係のない誰かを想って胸を焦がすようになってしまうのだろうか・・・・・・。

「柊。」
 呼ばれて、はっとした。
 刺身を箸でつまんだまま、物思いに耽っていたようだ。
「報告が遅くなったけど、俺たち付き合うことになったんだ。」
 照れ臭そうに言いながら、Tが横に座った。
「良かったじゃないか。独り者には目の毒なんですけど。」
「悪いね。柊にはデートの下見とか付き合ってもらったし、ほんと感謝してる。」
 Tは幸せそうに笑った。
「俺・・・R奈はさ、お前のことが好きなんだと思ってた。」
 不意打ちに内心どきりとしながら、私は黙っていた。というか、"ちゃん"付けやめたんだな。
 Tは私をちらと見て、ぶどうサワーを一口飲んだ。
「告白してから、返事を待たされて、それから一度考えさせて、って言われたんだ。」
 私も溶けた氷で薄まったカシスオレンジを飲む。
「お前、何か相談された?」
 そんなこと聞いて、Tは何をしたいのだろう。R奈の名誉を考えても、あの日のことは無かったことにするのが良かろうとは思いつつ、仲の良い友人に嘘をつくわけにもゆかず、私は当たり障りない回答を選んだ。
「うん。Tはいい奴だし、R奈ちゃんと気も合うみたいだからおすすめだよ、って言っといた。」
 やっぱり嘘だ。確かに心の中ではそう思っていたが、実際、R奈の前で口にはしなかった。そんなこと、あのときは言える雰囲気ではなかった。
「お前、そんなに応援してくれてたの?」
「うん・・・、まぁ。」
 Tは私のことをまじまじと見て、少し目を潤ませた。
「・・・ありがとう。」
「やめてくれよ。私は実際何もしてないんだから。」
「俺・・・R奈がこの世に存在してなくて、お前が女だったら、絶対お前のこと好きになってる。」
 突然何を言いだすんだこの男。気持ち悪い。
・・・あ、男に好かれるって、そういうこと・・・なんだろうか・・・。
「ねぇ、T。」
 そこそこ酔いが回っていると思われるTの手を取って、私はTを見つめた。正直こういうのは趣味ではないから、触れた掌がぞわぞわする。
「え・・・なに?」
 離れようとするTをつかむ手に力を入れる。しみじみ、私は男に興味があるわけではないのだと実感してほっとする。倒錯していると思うけれど。
「そんなこと言って、もし私が君のこと好きだって言ったら、どうする気なの。」
 Tは目を皿のようにして私を見返す。
 どう反応するんだろう。そのケの無い人間が、同性から迫られたら。
 私はTの指に自分の指を絡めて、引き寄せた。
 Tは、頬を染めて慌てた。顔を背けて、畳に向かって大声を上げる。
「ひ柊、・・・ちょ、は!・・・はぁ?なになに待って待ってウェイウェイウェーーイ・・・・・・っはああ?」
 Tの動揺振りに私は心の底から引いていた。これは、もしやその気が無いわけでもないということか。だとすれば何の参考にもならない。
「やめてよ!」
 真っ赤な顔で取り乱すTを、飛んできたR奈が引き剥がした。
「何がしたいの柊!また私を突き落としたいわけ?」
 R奈は天敵を見るような目で私を睨んだ。
 突き落とすって・・・、少なくとも彼女を振ったことは、そこまでのことだったのだろうか。あのときの私の対応は彼女を不必要に傷つけたのだろうか。私はもっと、罪を感じるべきだったのか?
「まさか、柊の好きな人って・・・Tだったの・・・?」
 目に涙を溜めながら、R奈はTを隠すように抱きしめる。
「え?はっ?へ?」
 R奈の腕の中でTはまた動揺している。
 私はそんな二人を眺めて、何やら心が冷えていくような気がした。
「・・・何それ。ふふ。」
 これ以上、その場に居たくなかった。
「びっくりさせてごめん。冗談だって。私の好きな人はTじゃないよ。」
「じゃあ・・・、誰?」
 咎めるような問いには答えず、私たちの遣り取りを戸惑いながら眺めていた幹事に会費を渡し、私は店の外に出た。
 すごく、むしゃくしゃしていた。

 嫌な気分だった。
 いくら鈍くておぼこな私でも、Tの分かり易い反応が何を意味するかくらい察することはできる。
 自惚れているつもりはないし、私がどうこう言える立場でもないのだが、結局、R奈もTも、妥協してお互いを選んだのかと思うと、なんだかとても悲しかった。
 Tがまさか、私をそういう目で見ていたとはついぞ気付かなかったが、だからといって告白までした相手がいるのに、冗談混じりの鎌かけに動揺なんてしないでほしかった。
 愛だとか恋だとかに、移り気や優柔不断を認めたくない私は、やはり子供なのだろうか。
 彼らの想いを受け入れない私は、罪深いのだろうか。
 記憶なんて捨てて名前を呼んでほしいと千家に願う私は、冷酷なのだろうか。
 そう訊いたら、千家は何と答えるのだろう。
 ぼんやり考えながら、イヤホンを着ける。

――One more time 季節よ 移ろわないで
――One more time ふざけあった 時間よ

 帰路についたはずの私だったが、ついいつもの癖で乗り換えて、ここ毎週通っているカフェに行く路線に乗車していた。
 アルコールをやっていない件のカフェは、もう閉まっているようだ。いつもは活気のある店内は暗く、レジ横のカウンターだけ、場末のバーのように白熱灯にひっそりと照らされている。
 色付き始めた葉の香りが、少し冷んやりとした風に乗って頬を撫ぜた。

 何となくぶらぶらと歩いていたら、緩やかな坂を上り、公園を抜け、しかめつらしい日本家屋まで来ていた。
 千家は、まだ起きているだろうか。
 そっと見上げてみるけれど、彼の部屋の窓は外からは見えない。一階だから、塀に囲まれていて覗けないのだ。
 華道教室から少し離れた電柱に寄りかかって、スマホを取り出す。しかし、未だに彼と連絡先を交換し合っていなかったことを思い出し、溜息が出た。
 こんな時間に玄関を叩くほど私も非常識ではないし、そもそもここには彼の家族もいる。たとえばもし彼の親が出てきたとしたら何と言って彼を呼び出せばいいのか、私には分からなかった。私たちは、小学生の友達同士ではないのだ。
 大人になった今、ましてやこんな夜に、子供の頃の作法は通用しない。さして理由もなく、ただ会いたいからといって気軽に会いには行けない。
 もしかして偶然千家が出てくるかもなんて少し期待してみたが、そんなこともなく、そうこうするうちに本当に誰かが玄関から出てきてしまった。
 不審者だと通報されても困るので、そっと背を向けた。
「あれ?」
 背中で声がする。知らない女性だ。
 私に向けたものではないだろう。そのまま歩を進める。
「あ、ねえ、君!」
 声が追いかけてくる。なんだか、これはまずい気がする。
 私は歩みを速めたが、声の主は走った様子もないのに、すぐ私の肩に手を掛けた。
「・・・なんでしょうか。」
 我ながら不審すぎる。やはり通報されてしまうのだろうか。
「逃げることないじゃない。・・・ねぇ、もしかして君、柊くん?」
 どきりとして振り返ると、逆光の中、辛うじて見えた口元が、見覚えのある形に似た弧を描いた。
「当たりかな?伊織でしょう。ちょっと待ってて。」
 女性は抱いていた子供を降ろすと、おじちゃん呼んできて、と言った。頷いた小さな女の子は、厳つい門の中へ走って消えた。
 促されて私も渋々、千家邸の玄関まで戻る。
「・・・なんで、私のことを知っているんですか?」
 恐る恐る訊くと、女性は楽しそうに笑った。
「うちの生徒の子がね、伊織の友達に可愛い子がいるって言ってたから。それに、君、この間うちに来てたでしょう?」
 見られていたのか。夜目にはよく分からないが、歳の頃からしてこの人は恐らくスマホの写真で見た千家の姉だろう。生徒とは、伊勢薫のことだろうか。
 やがて早く早くと急かされながら、女児に手を引かれて奥から千家が現れた。
「・・・どうした、こんな時間に。」
 逆光でどんな顔をしているのかよく分からないけれど、物寂しい夜だからか、千家の声はいつに増して甘く優しく聞こえた。私は急に恥ずかしくなってぼそぼそと呟いた。
「いえ、私は・・・」
「ほら、こんなところに立たせておかないで、中で話したら?」
 千家の姉に背を押され、小さな女の子からは、早く入らないと風邪引くよ、と言われ、そっと見上げると、千家はふわりと笑って手を差し伸べた。
「・・・だそうだ。上がれ。茶くらい出してやる。」


  お、おじちゃん・・・!www

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