One more time, One more chance 15(最終話 ・ 拍手お礼より)
大学の長い夏休みも終わりに近づいた頃、サークルの先輩からメールが届いた。
TとR奈、それからサークルの仲間を何人か呼んで、彼の家で鍋をやるが来ないか、との誘いだった。
あれからTとR奈の仲がどうなったのか、実はとても気になっていた。
どの口がそれを言う、と言われても仕方ない。あの日のことは、全面的に私が悪かった。
もしかしたらR奈は、Tの興味が多少なりとも私に向いていることをはじめから知っていたのかもしれなかった。だからこそ初めはTの告白を受け入れるつもりがなくて、それから私に振られたことで改めてよくよく考え直したのかもしれない。ひと月やそこらというのは、告白したTからしてみたら恐ろしく長い時間だったのだろうし、R奈にしてみれば私に向いていた気持ちを可能性として無いわけではないTへ向け直すのに十分な長さであったのかもしれない。
己の見方だけでどうこう思っていた私は、やはり子供だったのだと思った。
所詮他人が推し測ることができる程度のことではないのだ。恋だとか、愛だとかというものは。
・・・などと偉そうに考える余裕が生まれたのも、今現在私と千家との交際が順調であるからに相違ない。
あの日は結局、彼の姉の提案したとおり、私は千家の部屋に泊まった。
お互いをどう思っているのか告げ合った後なのだから、それから私たちがどんな夜を過ごしたかは、あえて語るまでもあるまい。私たちは小学生の友達同士ではないのだ。
千家に、大学の同期の男女から結構本気で好かれていたようで仲がこじれてしまった、とそれとなく相談してみたら、いつものように、ふぅん、とだけ言われた。歳の功で何か良いアドバイスをくれるかもとの期待は外れたけれど、その横顔が少しだけ面白くなさそうだったので、妬かれたような気になって私はちょっとだけ、にやにやした。
先輩には、ぜひ参加したいと連絡しておいた。
頼まれていた酒のつまみを抱えながら到着した小さなワンルームのアパートには、すでにTとR奈が到着しており、台所に並んで立って野菜を切っていた。
「・・・柊。」
「あ、・・・やぁ。久しぶり。」
ぎこちなくTと挨拶を交わしていると、R奈は私に向かって右手を開いて突き出した。
「見て見て、これ!」
その薬指には少し太めのシルバーの指輪がはまっている。
「ほら、Tも。」
促されて、Tも照れくさそうに右手を出して見せた。
その薬指にも、同じような形の指輪が着けられており、どうやらペアリングを見せつけたかったらしいことが分かった。
「いいね、それ。二人とも似合ってる。」
「でしょう?Tが買ってくれたんだ。」
私は心の底からほっとした。私のせいで二人の間がうまくゆかなくなっていたらと、会うまで不安で仕方なかったから。
「この間は、ごめん。私がこんな事言える立場じゃないけど、二人が仲良さそうで本当に良かった。」
「何のこと?」
R奈はとぼけて言った。
Tは、少しだけ気まずそうに野菜をざるに移し始めた。
「ねぇねぇ、柊が酔うと変に色っぽくなるって、ホント?」
先日の飲み会には居なかった先輩が、冷蔵庫を開けながら声をかけてくる。
「そうなんですよー。それでこの間Tに迫ってきて、ワタシ超困って。」
「マジで?柊ってそっち系?」
「違いますよ。」
笑いながらR奈と先輩は野菜と水を持って、鍋とポータブルコンロの置いてある部屋へ戻っていく。
「なぁ、柊。」
彼らに続こうとした私は、背中からTに声をかけられて、立ち竦んだ。
元の鞘にしっかり収まったようであるとはいえ、狭く薄暗い台所で、かつて私にその気があったらしい男に後ろを取られるのはどことなく緊張する。
「俺、さ。」
「・・・うん。」
Tの声は小さく、皆のところまではきっと届かない。
何を言われるのか、私は少しだけ身構えた。
「R奈のこと、本気で大切にしてる。」
「・・・うん。」
「これからも、ずっと。」
「・・・うん。」
「・・・・・・なんだよ、こっち向けよ。」
私の肩に手を掛けて後ろを向かせたTは、いたって普通の顔をしていた。
「なにお前、もしかしてR奈のこと好きだった?」
「ううん、それはない。T、・・・私は今、ずっと好きだった人と付き合ってる。」
Tは少しだけ驚いたように目を見開いて、それから、私にチョップを食らわせた。
「いった!」
「なんか幸せ感ダダ漏れでムカつく!俺たちだって幸せですけどー。」
奥の部屋からR奈と先輩たちが呼んでいる。
「ほら、行って。お前が進まないと俺も入れないし。」
なぜかTに後頭部を突かれながら、私は皆がせせこましく座る輪の中へ腰を下ろした。
「・・・男の匂いがする。」
散々人の家で騒いで、終電間際の電車で帰ると、合鍵で私の部屋へ入っていた千家が首元で小さく息をして呟いた。
「何言ってるんですか。・・・まぁ男の先輩の家でしたからね。でも女の子もいましたよ。同期の子とか、先輩の彼女とか。」
私は彼の淹れた温かい紅茶を受け取り、息を吹きかけて冷ましながら啜った。
千家は実家住まいなので、やはりそう頻々と訪ねられないため、彼が私の部屋に来ることが多い。といっても、もちろん毎日会えるわけではない。
ここは私の家だというのに、千家は私よりずっと美味しく紅茶を淹れてくれる。ちょっと飲み過ぎた胃には、紅茶より薄い緑茶とかジャスミン茶の方が、さっぱりしていて本当はありがたいのだけれど。
「それはお前を犯そうと狙っていた女なのだろう?」
「ちょっと、何です、それ。私は男ですよ。そんなわけないでしょう。」
「どうだか。お前は、快楽に弱いから・・・」
「っあ!」
急に耳の縁をなぞるように舐められて、うっかり声を上げてしまった。
「ほら、静かにしろ。また近隣住民から苦情が来たらどうする。」
囁きながら千家の手は私のシャツのボタンを外し始める。
「苦情な、んてっ・・・ん、あれ、っは、隣のうち、ぁ・・・」
「この部屋は狭いな。声を抑えてよがるお前も悪くはないが・・・」
「ん・・・伊織さん、シャワー浴びたい。」
浴室から戻ると、ベッドの上で千家がスマホを弄っていた。
初めのうちは慣れない様子で画面を突いていた彼は、いつの間にか巧みに使いこなすようになっていて、今では情報検索なら私よりも速いくらいだ。
「何を見てるんです?」
「ん。」
千家が見ていたのは賃貸物件サイトだった。
「お前はどんな間取りがいい?」
「私ですか。ここと同じくらいの家賃だと、このあたりはどこもこの程度でしょう?治安は良いんだし、多くは望めませんよ。」
「金に糸目をつけなければ、希望はあるか。」
「もしも住めるなら、そうですね・・・ちょっと広めのリビングがあって、南向きの風通しの良いベランダに、小さな椅子とか置いて、お煎餅つまんだりできたらいいな。目の前は建物に遮られていなくて・・・あ、通学に不便なのは困るから、できれば駒場と本郷の間あたりで、駅から徒歩圏内・・・って、欲張りすぎですよね。」
「ふぅん・・・例えば、これは?」
私の話を聞きながら、千家は条件を絞り込んであっという間に希望通りの部屋を見つけ出した。
「わぁ、いい感じですね。でもこれ、タワーマンションじゃないですか。・・・こんな家賃、とてもじゃないけど払えません。あ・・・、なんだ3部屋もある。単身者向けじゃないですよ、これ。」
「部屋などいくらあってもいいだろう。これはどうだ?」
続いて画面に表示されたのも、数部屋ある高級マンション。
「私、そんなに広いうちだと落ち着かないです。」
「そのうち慣れる。」
スマホの画面を消して枕元に放り投げると、千家はそのまま私を引き倒して諸共ベッドに転がった。
「教室に通えない場所でも困るからな。となると、結局この近辺か。」
私の前髪を指先で弄びながら、千家はぶつぶつ呟いている。
「急に、どうしたんです?私は今のところ、引っ越す予定なんてありませんよ。」
「このベッドもいい加減狭いしな。ふふ。」
言いながら、耳朶を甘噛みしてきた。
「っんぅ・・・それは、当然でしょう。上京した、・・・んっ、ときは、こんな風に貴方が夜這いしてくるなんて、・・・ぁ、ん・・・っ考えて、なかったんだし」
「ふん。それでいて、ここを訪ねるのに少し間が空くとすぐご機嫌斜めになるのは、どこの誰だった、か。」
寝返りを打ちがてら私の上に乗って、千家は楽しそうに目を細める。
「・・・誰です、それ。」
私は期待に胸を高鳴らせながら、目を閉じた。
それから少しして、私は千家華道教室を訪ねた。
遊びに来るよう千家に言われたからだ。
久し振りに訪れた厳めしい門をくぐると、着物姿の彼の姉が出てきて首を傾げた。
「伊織はこの間引っ越して、ここにはもう居ないよ?」
「え・・・・・・」
頭が真っ白になった。
引っ越した?そんな話は知らない。
今日はうちに来い、と、今朝方電話があったのだ。千家のうちなど、ここしか知らない。
「そんな・・・聞いてません・・・」
困ったね、と呟いた彼の姉が、ふと視線を上げたので振り向くと、千家が道路の向こうからやってきた。
「あぁ、こちらに居たか。お前を呼んだのは此処ではない。・・・姉さん、昨日の花を持って行きたいのだが。」
「貴方ねぇ、柊くんびっくりしてるよ、ちゃんと説明してあげて。」
奥から小振りの花束を持ってきた彼女は、千家にそれを渡しながら、ねー、と私に目配せした。
「・・・引っ越した、んですか。」
並んで歩きながら、恐る恐る訊く。
どこに。理由は。一人暮らしなのか。
こうして恋人として付き合うようになるまで、千家の家の場所は知っていたものの、連絡先を交換することもなかったのだ。急に居所を変えたとなると、また音信不通になることもあるかもしれないと、私は不安になった。
「うっかりしたな。お前には随分前に伝えた気になっていた。お前は来週だ。引越し業者は午前中に手配してあるから、それまでに荷物をまとめておくように。」
「・・・・・・は?」
間の抜けた声が出た。
来週?
引越し業者?
「・・・ぁの、伊織さん・・・?えっと、それは、どういう・・・」
「聞こえなかったか。お前は、これから私の家で暮らすのだ。」
「・・・はい?」
「持ってくる荷物は最小限でいい。家具は新調したから、寝具や炬燵は捨てるなりリサイクル業者に売るなりするんだな。食器も思い入れのあるもの以外は処分しておけ。」
何か問題でも?といった顔で言い放つ。相談もなく手配した千家の勝手さに、困惑を通り越して、私は呆れた。
「・・・そんな、話・・・私は初耳なんですけど・・・。」
「当然だ。今、話したのだからな。だがお前の希望どおりの部屋にしたのだ。きっと気に入る。」
「や、だからそういうことじゃなくてですね、」
ならどういうことだ、と千家は首を傾げる。
「だって・・・」
実家の親には何と言って説明したらいいだろう。こちらでの保護者代わりになってくれている伯父にも、引っ越す旨伝えなければならない。
言い淀んでいるうちに、電車で数駅行った先のタワーマンションの前まで来ていた。先日、私の部屋で千家が眺めていた物件の一つだ。確か、家賃も今私の住んでいる部屋の軽く3~4倍はしていたはず・・・。
「伊織さん、本当に、ここに住んでいるんですか?」
「嘘を言ってどうする。」
言いながら、広々としたエントランスでパネルに千家が鍵をかざすと、音もたてずに自動ドアが開いた。
エレベータホールも立派で、階によって分かれている。乗る際にはエントランスと同様鍵をパネルにかざさなければならず、セキュリティーも厳重のようだ。
なにやら分不相応なところへ忍び込んだような気がして、私は千家の背に隠れるようにして歩いた。
「ここだ。」
やっと辿り着いたその部屋は、最上階ではないものの、かなり上の方の階に位置している。
促されて玄関に上がり、奥の扉を開けると、明るい光が飛び込んできた。
「わぁぁ・・・すごい・・・!」
東京に居ては建物に阻まれて狭く思えた空が、大きな窓の向こうに伸び伸びと広がる。
私の希望したとおり、広々としたバルコニーには、小さなテーブルと椅子が置いてあった。
「悪くはないだろう?」
「とても、素敵だと思います、けど・・・」
どうしよう。
ここに住むとなると、社会人の千家と、さすがに折半とはいかないまでも、これまでより多く住宅に生活費を割かなければならなくなるだろう。通学定期も作り替えなければ。引っ越しは来週と言っていたか。大学の講義はまだ始まったばかりだから、今のところ重いレポートなどはないけれど、のんびりはしていられない。サークル活動も始まる。
引っ越しが終わったらアルバイトの日数を増やさなければならない。2年の成績は進学に関わるから、勉強にも時間を割きたいし、・・・あぁ、それ以前に、まず家族を含め、何と説明すればいいのだろう。妹などは目敏く恋人と同棲なのではなど指摘してきそうで怖い。
・・・気付くと、千家の提案というか要求というか命令をどう受け止めるべきか悩んでいたはずが、この部屋に引っ越してくることを前提に今後起こり得る課題にどう対処すべきかばかり考えていた。
どうやら私の心は、千家と同居することに対して、全く異議がないようである。が、こう勝手をされて簡単に、分かりました、というのもなにやら釈然としない。
品の良いリビングに立ち尽くして唸っていると、千家が後ろから抱きしめてきた。
「わ、なんですか。」
「・・・朝、横にお前がいないと、なぜだか調子が出ない。」
掠れた声が耳元で囁く。
長い髪がさらさらと頬を撫で、彼の香りがふわりと鼻をくすぐる。
「夜は夜で、お前の部屋に行けないことも多いしな。」
「貴方、そんなに欲求不満なんですか。」
首だけ振り向くと、頬にキスされた。
「厭か?」
「そうじゃない・・・けど、・・・あんまり激しいのは、ちょっと・・・」
言いながら、顔が赤くなる。何を言わせるんだ、この人は。じっと見ないで欲しい。
「講義の前日は手加減してやる。休みの日の朝は、好きなだけ寝かせてやる。・・・だから、京一郎。」
千家は私の髪を指でそっと梳いた。
「お前と共に暮らしたい。・・・また。」
甘い声に、嬉しいような切ないような、不思議な感情が胸を締め付ける。
私も、また貴方と暮らしたい。
・・・・・・また?
「・・・私は、貴方と一緒に住んだことはないはずですが・・・。」
頭に浮かんだ気持ちに違和感を覚えて言うと、千家も不思議そうに首を傾げた。
「・・・それも、そうだな・・・。」
何でもそつなく完璧にこなしていそうな彼が、おかしなことを言うものだ。
ちょっと面白くて、私は偉そうに言ってみる。
「そういうときは、もう一度、って言うんですよ。」
「同じだろう。」
即座に指摘されて、私も首を傾げた。
「あれ・・・?」
しかし、考えても考えても、しっくりくる言葉は、今度こそ、とか、やっと、とか、初めてでないことを示唆するものばかり。
「だけど、なぜだろう。初めての気がしない・・・」
困ったように千家も笑った。
「同感だな。しかし理由がない。」
開けた窓から冷やりとした空気が入ってきて、私は少しだけ身震いした。
窓を閉めた千家は、私の手を引いてソファへ誘う。
「案外、前世からの縁があったりして。」
隣に腰掛けて、冗談めかして言ってみる。なんだそれは、と千家はくつくつ笑った。
「そういうオカルトじみたことは信じない主義だが。」
彼はローテーブルに置いていた花束を手に取る。外語新聞の印刷された包み紙を開くと、小さなブーケが現れた。
「わぁ・・・!可愛いですね。結婚式のお仕事ですか?」
白いバラや薄紅色のチューリップ、カーネーションなどに、薄緑の蔦が絡まっている。
千家は少しだけ照れ臭そうに微笑んだ。
「仕事ではなく、私事でこういうものを作ったのは、初めてだな。」
まるでヴァージンロードを歩く花嫁の持つようなそれをこちらに向けるから、私はつい両手で受け取った。
「・・・私事・・・?」
つまりこれは誰かに頼まれたのではなく、千家自身のために作ったということだ。そして、それを私に渡した。その意味するところは。
「伊織さん、これ――」
「それで。」
私の言葉を遮るように、組んだ膝の上に頬杖をついて、そっぽを向きながら。
「どうするのだ。私のところへ来るのか、来ないのか。」
いつだって高慢に、高飛車に、私の恋人は言い放つ。
会えない日があるのは寂しいとか、少しでも長く側に居たいとか、そういう風には言えないんだ。
「・・・貴方って人は。」
素直じゃない。
まるでプロポーズみたいな準備をしておきながら、求愛の文句ひとつ出て来ない。
でも、そういうどこか不器用なところが可愛くて、私はついつい、いつも絆される。
「仕方ないですね。」
私は千家の差し出した花束から、一本、取り出す。
バラにしようかとも思ったけれど、きっと貴方にはこっちの方が似合う。
「どうせ、私が来ないなんて選択肢、貴方の中には無いんでしょう?」
彼は今日も和装だから、挿すべき胸ポケットがない。
だったら。
「ねぇ、伊織さん、」
面映そうに笑う貴方は、花のようだ。
私はブーケから抜き取ったスズランの細い茎を、千家の耳の上の髪に挿す。
うん。
やっぱり、似合う。
「私の名前を、呼んで。」
眩しそうに目を細めると、千家は私の腰を引き寄せて、そっと口付ける。
「・・・愛している、京一郎。」
私は千家の頬に触れて、くちづけを返した。
「私もです。」
<了>