One more time, One more chance 6(拍手お礼より)



――お前の、名は。
――私が呪いを受ける身だからだ。
――貴方も負ってくださるのでしょう、半分
――私はお前の、・・・何だ?
――要らぬのだよ、血の繋がりなど。
――私の為の部屋を用意してもらったのに、全く使う機会がありませんよ?
――一朝事あらば、私を殺さねばならない局面も出来し得る。
――・・・厭だ・・・伊織・・・

 触れた唇が、私の中に封印されていた記憶を呼び醒ます。少しずつ、水の中に沈んだ街を遠く覗くように。
 やっと、戻ってくる。私の中に欠けていたものが。
「――っ!!」
 強い力で肩を押し返された。
 千家がぎらぎらと青光りする目で私を睨んでいる。

 なぜそんな顔をするの、伊織。
 私は貴方にずっと会いたかった。
 やっとこうして、ほら。
「お前は誰だ。」
 私は貴方の京一郎です、伊織。貴方は私の伊織でしょう。
「お前は戦争のない世に生まれた。現代を、いまを生きているのだ。」
 そんなことどうでもいい。伊織、貴方だって、ずっと私を求めていたでしょう。私は知っているんだ。
「私は帝国陸軍少将ではない。死霊を扱って戦争はしない。だからお前の力は必要ない。」
 でも、私の血がないと貴方は呪いに苦しめられてしまう。
「呪詛体でもない。お前の血がなくとも、呪いで死ぬことはない。」
 伊織、何を言っているの。何が言いたいの。
「――私はお前を縛り付けない。お前は私に関わらなくていい。」

 千家は記憶の中の私ではなく、いまここに居る私に話しかけている。ともすれば記憶に意識を奪われそうになる私に向かって、必死に訴えかけている。
 その様子から、彼が後悔しているのは、やはりきっと私に関わることなのだ、と思う。
 私は彼に応えようとする。
「伊織、さん・・・」
 しかし、私の中の私の知らない私が、強く叫ぶのだ。

 厭だ、伊織。私を拒絶しないで。
 貴方はあんなに私を求めていたじゃないか。
 たくさんの人を殺して、私を無理矢理屈服させてまで手に入れたんじゃないか。
「記憶など求めるな。お前の持つ感情は、幻だ。」
 幻なんかじゃない。私は時を超えて、世界を超えて、貴方が居るここに、やっと来れたんだ。
「お前は記憶に頼らず、お前自身で、お前の生を選べ。」
 貴方は、私を選ばないの、伊織。
 私がやっと見つけた貴方は・・・・・・
「記憶の中のお前は、死んだのだ。お前は初めからここには居ない。そしてお前の求める伊織は、私ではない。」
・・・・・・――――。

 千家は立ち上がって私を見下ろす。
「・・・幻など放っておけ。お前は、お前自身の感情だけ見ていればいい。」

 ヒグラシの鳴く声が聞こえる。
 オレンジ色の空はいつの間にか薄くなって、水色にふんわりぼやけていた。

 千家の囁く声は甘く優しく、私はその言葉に、その声に、私の探していたものを見つける――私の中にいるもうひとりの私の、狂おしいほどに彼を求める気持ちだけではなく。

 記憶の衝き動かす感情よりも、私が初めて見つけた私の感情は、言葉どおり甘くて、微炭酸のように胸の奥をちりちりと焼いた。

 私は千家を見上げる。
「伊織さん・・・」
 眩しそうに目を細めて、千家は座ったままの私の髪に触れた。
 胸が、きゅう、と締め付けられる。私は衝動的になりそうな自分を必死に抑えた。きっと、今の私は、私にキスをした時のR奈と同じ顔をしているのだと思う。

 彼の柔らかい声が好きだ。
 宝石みたいな目が好きだ。
 艶のある長い髪の毛が好きだ。
 私に触れるときの仕草が好きだ。
 形の良い唇が好きだ。
 聞きやすい喋り方が好きだ。

 彼ともっとたくさん話したい。
 彼のことをもっとよく知りたい。
 彼ともっと一緒に過ごしたい。

 顔の横の前髪を伝って私の頬を撫でようとした白い手は、膚に触れる寸前で急に引っ込められた。
・・・触れて欲しかったのに。
 千家は瞳を曇らせて、私から目を逸らす。
 私は思わず彼の袖を引いた。
「伊織さん、」
 彼は視線を返さない。
 唇に触れて溢れ出した記憶は、中断されたことで曖昧なまま消えてしまった。もう一人の私の感情に意識を奪われかけたけれど、それも彼の言葉で引き戻された。
「・・・私のためを思って、言ってくれたんですよね。」
 千家は応えない。
「なぜ、そんなにしてくれるんです?」
 私に関心がないのなら、本当に私のことが疎ましいのなら、こんな風にはしないと思う。
「貴方は、・・・もう一人の貴方と私の関係を後悔しているんですか?」
 彼は感情の読めない声で言った。
「どうでもいいことだ。」
「ねぇ・・・」
 私にはそうは思えないんです。
 だって。
「貴方は私を貴方から引き離そうとするけれど、それが私のためだというなら、私は貴方をもっと知りたくなる。・・・そう思うのはおかしいでしょうか。」
 千家は黙ったまま背を向けた。私は立ち上がって言い募る。
「・・・行かないで。」
 貴方の、せいだ。
 こんなに胸が高鳴るのは。
「お願いです。」
 こんなに嬉しくて、切ないのは。
「記憶のことを除いても、私は、・・・いま私の目の前にいる貴方と、歩いてみたい。」
 私は彼の横顔を見つめる。
 千家は無表情に目線だけこちらに遣り、それから目を閉じた。
「伊織さん。」
 私は彼の手に触れた。
 振り払われるかと思ったが、彼は私のするがままにしていた。先日や先程のように、何か記憶が伝わってくることもない。

 夕焼け小焼けのメロディが、公園のスピーカーから流れている。遊んでいた子供たちは帰り支度をはじめたようだ。
 彼らを眺めながら千家は小さく呟いた。
「・・・なんだ、それは。」
 私は彼を見上げる。
「まるで、求婚しているようだな。」
 からかうように言った千家は、目線を流して微笑んだ。その睫毛の一挙動に、私はまた息を飲む。
「お前は、誰だ。」
 試すように細められる瞳。
 分かっている。彼は、記憶に衝き動かされただけの私を求めない。
 だがもう、もうひとりの私の声は聞こえない。だから私は、いま現にここに居る私に相違ない。
「私は柊京一郎。帝大2年で、経済学部への進学を希望しています。いま住んでいるのは本郷に近いワンルームで、部活は・・・」
 真面目に答えたら、笑われた。
 だってそう言うほか、私のことを説明する方法が無いじゃないか。
 少しむっとする私を、千家は楽しそうに見ている。
「分かった。・・・では、私も同じように自己紹介しようか。」
 なんだか、それも変な感じだ。だから知っている限りの事を挙げる。
「貴方は千家伊織さん。この辺りに住んでいて、華道の先生をしていらっしゃるんでしょう?」
「よく知っているな。」
「・・・そして、私と同じ記憶を持っている。」
 私は付け加えることを忘れない。なぜなら、私が彼と出会うことのできた大切なきっかけだから。彼がなんと言おうと、これを無視することはできない。
 千家は黙っていたが、少し前の頑なな雰囲気は和らいでいた。
「・・・それで、お前は今後どうしたいのか。」
 彼は少し曖昧に微笑む。
 答えようとして、私は逡巡した。
「ぁの・・・あの、私と、・・・」
 なんと言うのが正しいのだろうか。
 私が彼に対して感じている気持ちは、きっとR奈が私に対して抱いていたのと同じものだ。しかし、それをいま伝えるのは、あまりに急すぎる気がした。
 記憶の中の彼と私の関係は、恐らくそれに近いものであったのではないかと思う。けれど、結局詳細は分からずじまい。もしそれが私の勘違いであった場合、そのつもりで接すると千家を警戒させてしまう可能性がある。やっとここまで近づくことを許してもらえたのだから、ここで躓くわけにはいかない。
 帝大仕込みの頭をフル回転させて、私が導き出した彼とのまず第一歩の関係は、――。

  

NEXT NOVEL PREVIOUS