One more time, One more chance 7(拍手お礼より)



「友達になってくれませんか?」
 目を丸くする千家。
・・・分かっている。もっとうまいこと言えると思ったのだが、結局こんなことしか思いつけなかった。帝大生だからといって私は、別に人付き合いが取り立てて器用なわけではないのだ。・・・不器用というほどでもないとは思うけれど。
「友達・・・・・・。」
「・・・年長の貴方にこんなことを言うのは厚かましい、でしょうか・・・」
 毒気を抜かれたように私を見つめていた千家は、しかしやがてして、くすりと笑った。
「成る程、な。ふふ。友達か。・・・友達、ふぅん。」
 気分を害してはいないようだが、やはりまずかっただろうか。しかし、撤回するにしても代わりに何と提案すべきか。私はもうお手上げだ。
 だんだんと視線が落ちる。
 どこを見ていたらいいか分からなくて、私は彼の抱える花束を何となしに見つめた。
「よかろう。友達になろう。そんな風に言われるのは幼い頃以来だ。面白い。」
 そう言って千家は信玄袋からペンチのような形の鋏を取り出した。抱えていた紫色のネギ坊主のような花束を少し見つめ、いかんな、と呟くと、辺りを見回して、低木の白い花を一輪、ぱちんと切り落とす。
 和装に和鋏とはこんなに様になるものか、など思いながらぼんやり眺めていると、戻ってきた彼は、私のシャツの胸ポケットにその白い花を挿した。
「これ・・・」
「クチナシだ。香りがいいだろう。」
 胸元から甘い香りが漂う。ふわりと微笑む千家の顔が眩しくて、私は思わず目を伏せた。
 どうしよう。この花の香りを嗅ぐたびに、胸がときめいてしまいそうだ。
「水曜、木曜の今くらいの時間だったら、大抵、坂の途中のカフェにいる。」
 鋏をしまいながら、千家がぽつりと言った。
「え・・・?」
「会いたいなら、来ればいい。」
 それは、次会う約束、と受け取っていいのだろうか。
「・・・じゃあ、明日も?」
「居る予定だ。」
「あの、いろいろな紅茶があって人気のお店ですよね?」
「よく知っているな。」
 知っている。なぜなら今日もそこに居たのだし。やはり彼はあの店を使っていたのだ。
「明日、必ず行きます。」
「これは命令ではないから、来ないのもお前の自由だ。」
「絶対行きます!約束します!」
 強く言うと、千家は小さく笑った。
「・・・・・・おかしなことだ。」
 何が、と聞こうとしたけれど、くるりと背を向けた彼はそのまま行ってしまった。

 翌日、例のカフェに行くと、千家は壁際の二人掛けの席に座って読書していた。
「こんにちは。」
「・・・本当に来るとはな。」
 目を上げた千家が真顔で呟くので、意気揚々と訪れた私は少し弱気になった。
「お邪魔、でしたか・・・?」
「いや。」
 何か頼むか、と聞かれ、ハーブティーを、と言うと、ウェイターを呼んでくれた。
 それきり、私が向かいに座ってもずっと本ばかり見ている。仕方ないので、私も持っていた教科書を広げて次の講義の予習をした。
 帰り際、千家は持っていた花束から小さくぱちんと切って、また私の胸に挿した。
「あ、これ知ってます。ラベンダーですよね。」
「安眠に効果があるらしい。」
 また、胸元がふわりと香った。

 そんな風にして、私たちは週半ばの午後に会うようになった。
 といっても、ただ同じテーブルについて、それぞれ本を読んだり勉強したりしているだけだ。
 千家は詩集や画集を眺めていたり、日によっては文庫本や新書などを読んでいたりして、ほとんど口を開かない。
 私は、本当は記憶のことや彼のことなど、たくさん聞きたいことがあるのだが、いまのところ一緒に居られるだけで気分が舞い上がってしまって口が動かない。大抵出かける前には今日は何を話そうかと考えているけれど、いざ顔を合わせると、彼が記憶の話をしたがらないことが引っかかって、結局何も聞かずに別れてしまうばかりだ。
 千家の言った日以外にも、時間が空くと私の足は自然とこのカフェに向かうようになった。日によっては彼が居合わせることもあり、そういうときはやはり相席して、お互いに静かに読書していた。

 華道の先生らしく花束を携えていることの多い彼は、よく花を私に分けてくれる。
 カーネーションや向日葵、桔梗など、私でもわかる花もあったし、知らない花については名前を教えてくれたから、ここ最近私は少し花の名前に詳しくなった。分けてもらった花は、押し花にして取っておいている。
 不思議なのは、彼がいつも花を私の胸に挿すことだ。
 なぜかと聞いたら、髪に挿してもいいが、と言われた。それはなんだか女性みたいで変だと思ったので断ったけれど、千家の長く美しい髪にはいつか清楚な花を飾ってみたいなどと、私はこっそり思った。

「お前・・・いつもこうして来ているが、彼女から文句など言われないのか。」
 ある日、珍しく千家が口を開いた。
 何でそんなことを言うのだろう。関係ないと言ったはずなのに。
「恋人は居ません。」
「この間のポニーテールの――」
「だから、違います。」
 むっとすると、随分とご機嫌斜めだな、と笑われた。
「貴方が変なこと言うから。」
「ふぅん。」
 千家は文庫本を閉じてテーブルに置くと、椅子の背に少し寄りかかって、両肘を抱いた。
 じっとこちらを見る瞳は深い色をしていて、覗き込むと吸い込まれそうだ。
「お前はそんなに、私が恋しいか。」
 含み笑いをしながら言われて、私はつい反射的に否定した。
「そ!・・・んな、・・・・・・変な言い方をしないでください。」
 この人は、私の気持ちを知っているんだろうか。
 知っていて、そんなことを言うのだろうか。
「変?」
「だからその、恋しいとか、なんだか恋人みたいな言い方、変でしょう。私は貴方の友人なのであって、そういうんじゃないんですから。だいたい、男ですよ私は。」
「ふぅん?」
 千家は少し意地悪そうに目を細めると、声を低めて囁いた。
「そういえばいつぞやは、突然お前に口付けられたことがあったが」
「わああ!」
 慌てて他の客に聞かれていないか確かめる。幸いにも周りの席はほとんどがカップルや女性の二人連れで、こちらに反応している様子はない。
「何を言うんですか、いきなり。」
 今思い出しても顔から火が出そうだ。
 あのときはごく自然に彼にキスをしてしまったわけだが、よくよく考えると、あれは私のファーストキスだったのではないだろうか。R奈のキスは顎だったし、唇はきっと初めてだ。無意識のうちに失ってしまったことには正直凹む。
 けれど、だから、あれは私の意志ではない。記憶の中の私がそうさせたのだ。ここにいる私がそうしたのではない。
 千家だってわかっているはずだ。だからあのとき、私に語り掛けた。
 だというのに。
「てっきり、お前は私のことが好きなのかと思ったぞ。」
 おどけた声。
 からかうように流す瞳。
・・・酷い。
 そんな風に言われたら、否定するしかないじゃないか。
「・・・・・・ぇ、ぇぇ?」
 喉の奥が詰まるような感覚に、私は一度声を出すのをやめた。
 まずい、涙が出そうだ。
「そん・・・ゎけ、」
 だめだ、声が掠れる。
「・・・具合でも悪いのか。」
「ぉお腹痛い!」
 怒鳴るように言って、私は洗面所へ駆け込んだ。
 長細い個室に飛び込み、できるだけ奥へ行って深く息をする。
 清掃が行き届いているとはいえ、トイレで深呼吸なんてしたくないのにと思ったら、少し笑えた。
「はは・・・」
 笑い声と一緒に、ぽろりと涙が零れる。
 胸が苦しい。
 悲しい。
 あの曲を聞いたとき、千家の記憶に触れたとき、胸が締め付けられるように辛かったけれど、それよりもずっと強く、焼けるような熱いものが湧き上がってきて、私は己の気持ちが思っている以上に育っていたことに、今更ながら気付いた。
 漠然と、彼に恋しているかもなんて思っていた淡い気持ちは、はっきりと形になって、私の中に出来上がってしまった。
 こういう想いを、私もR奈にさせたのだろうか。
 私が交際を断ったとき、彼女は泣きそうだったけれど、泣かなかった。私は、いまここでほんの少しだけ涙を零した。どちらが女だかわからない。
・・・そうだ。
 千家のあの発言が意図的であったのかそうでないのかは分からないけれど、私はまだ告白して玉砕したわけではない。千家は私が好きではないとも付き合えないとも言ってはいないのだ。
 私が一方的に千家の発言に距離を感じているだけで、向こうがそうなのかどうかはわからない。
「・・・けれど、たとえば私が女だったら、もう少し楽観的でいられたのだろうか。」
 考えても仕方ないことをつい、呟いてしまう。
 男に好意を寄せられるというのは、いったいどんな気分なのだろう。仮にTに好きだと言われたら、私はそれでもこれまでどおり友人として彼と接することができるだろうか。
 また気づくとマイナス方向へ考えが巡ってしまう。これは良くない。前向きにいこう。弱気になるな。
「元気出せ、柊京一郎。」
 鏡に向かって囁くと、ガラス板の向こうで、対称な私が変な顔で笑った。

  

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