One more time, One more chance 8(拍手お礼より)



 デートに行くことになった。
「・・・ふふ」
 千家と、デートに行くことになった。
「へへ・・・っ」
 今週末に、当然、二人きりで。
「やっ・・・った・・・っ!!」
 嬉しい。
 ものすごく、嬉しい。
 こんなことってあるものかと思った。
 だって、誘っても断られそうなタイプだと思ったから。
 だから、それらしい理由をつけて、日程の候補をたくさん用意して、いつかは首を縦に振ってくれそうなプランで提案しなければ、難しいと思っていたから。

* * * * *

「プラネタリウム、ですか・・・」
 千家の口から、そんな言葉が出てくるとは思ってもみなかった。つい、怪訝な声になってしまったせいか、千家は面白くなさそうに付け加えた。
「興味があれば、だ。入場券は日付指定だし断って構わない。」
「あります!星好きです!行きたいです!」
 しかし、不思議だ。今まで星の話などしたことはなかったし、そもそも千家自身があまり乗り気ではなさそうなのだ。
「でも・・・、急にどうしたんです?」
「何がだ。」
「いえ、伊織さんが星に興味があるなんて知らなかったから・・・」
「・・・都合が悪くなったらしい。」
「え・・・・・・?」
 誰の?
・・・もしかして。
「ぁ・・・彼女、・・・さんと、行く予定、だったんですか・・・?」
 恐る恐る、だがうっかり聞いてしまった。
 聞いてから、しまったと思った。
 千家の整った眉が顰められる。
 あぁ、聞かなければよかった。先日、前向きでいようと思った矢先だったのに。
「恋人ではない、子供だ。」
「・・・こ、・・・・・・ども・・・・・・」
 一瞬、頭の中が真っ白になった。
 そうだ、年の頃からして結婚していてもおかしくなかったのだ。その可能性に今まで一切思い至らなかった自分に腹が立つ。
 そもそも私は彼とそういう意味で交際しているわけではない。ましてや、女ですらない。だから、こうして会うことについて、仮に私には下心があっても、彼に疾しいところがあるわけがないのだ。
 もう、駄目だ。どう足掻いても失恋確定だ。
 妻のある人に、男の私が恋心を告げて何になろう。
 彼に運命を感じていたなんて、本当に馬鹿げている。仮に共有する過去があったところで、それが何だ。お前はお前の生を選べ、というのは裏を返せば、彼は彼の生を選んだという宣言だったのだ。
 このところ熱い想いを持て余して思い悩んでいたはずの私は、胸を焦がすことすらできず、ただただ、身体の中が冷たく、限りなく虚ろになっていくような気がした。
「・・・・・・おい」
 千家が怪訝な顔でこちらを覗き込む。
 あぁ、悟られてはいけない。告げないのであれば、せめて彼に、この想いを知られてなるものか。
 私は必死に、表情を動かさないようにした。
「結婚、されてたんですね。伊織さん指輪してないから、知らなかった。」
 そうか、華道の先生だから指輪は外しているんだな。しかし花を活けるのに指輪は邪魔になるものだろうか。
 まぁ最近はしない人もいると聞く。だからといって、奥さんと不仲ということもないのだろう。
「何を言っているのだ。」
 千家はスマホを弄り始めた。
 携帯、変えたんだ。スマホはあまり似合わないな。
 顔顰めてるし。機械系は得意じゃなさそう。
 そういうところも、好きだった、な・・・。
「・・・ちっ」
 千家は舌打ちをしながら人差し指でタッチパネルをびしびし突いている。可愛い。
「ほら。」
 そして、私の目の前に画面を突き出してきた。
 画面には、目元が彼に似ている女の人と、3歳くらいの女の子が映っている。
 勘弁してほしい。なんで私が彼の妻子の写真を見せられなければならないのだろうか。
「・・・・・・可愛い、ですね。」
 喉の奥から振り絞るようにして、おざなりな感想を言うと、千家は強めの口調で重ねた。
「言っておくが私の子供ではないぞ。」
 それはつまり、彼以外の男との子、ということだろうか。
 私が間抜けな顔をしていたのだろう。千家は私の顎を強く掴むと、ぐい、と上を向かせた。
 紅い瞳が私を捉える。
 写真の女の人も、紅い目だった。似た者夫婦。頭に浮かんだ言葉が私の心に追い打ちをかける。
「これは私の”姉と姪”だ。」
 アネトメイ?
 何語だろう。
 人名?姉戸芽衣?
「よく見ろ、父親も写っているだろうが。こいつが私に見えるのか、お前は。」
 もう一度スマホの画面を突き出してくる。しかし真っ暗になっていて何も映っていない。
「あの、消えてるみたいです・・・」
「ちっ」
 再び舌打ちをしながら彼がなんとか表示させた画面には、にこやかに笑う男性が確かに写っていた。
「そうか、伊織さんのお姉さんと姪御さん・・・」
 やっと理解する。千家の美しさを妖艶と例えるなら、どことなく面差しの似る彼の姉は母親らしい落ち着いた美しさを湛えていた。姪はやはり目元が叔父にそっくりで、しかしその父親ははっきり言って地味の一言に尽きる。これはどう間違っても千家ではない。
「・・・あれ、じゃあ」
「お前、いま何を考えていたか言ってみろ。返答によってはただでは済まさんぞ。」
 彼は青光りする目を冷たく細める。
 思っていたことをそのまま口にしたら、怒るかな。
「いえ・・・何も。」
 怒らないわけがないか。
 しかし。
「なにをにやにやしている。薄気味悪い。」
「だって・・・」
 絶望の淵から戻ってきた私はほっとしてしまって。
「貴方がパパなんて呼ばれていたら、似合わないと思ったので。」
「こちらの方が御免だ。」
 くすくすと笑いの漏れる私を見て、千家は不機嫌そうに鼻を鳴らす。
 恨めしそうに私を横目で睨んでいた彼だが、ティーカップを口元に持って行きながら少し目を見開いた。
「・・・・・・おい」
 長い手が伸びてくる。
「何です。」
 つい、身体が硬くなった。
 滑らかな指先は躊躇いがちに空中を一瞬彷徨い、それから私の頬を撫でた。
「・・・泣くほど嬉しいのか、あれが私の妻子でなくて。」
 目尻を拭った彼の指を、溜まっていた涙が伝うのが分かった。
「お前は思っていることが顔に出すぎだ・・・。」
 そっと見上げると、千家は私の前髪をかき上げ、眩しげに目を細めて淡く微笑んだ。
「私が結婚していたら、厭だったか?」
・・・厭だ。
 そんなの、厭だよ。
 だって私は。
「・・・なに、言ってるんですか。」
 私は笑えていただろうか。
「私には彼女すらいないっていうのに、貴方に先を越されていなくて、ほっとしただけですよ。」
 千家は、ふぅん、と言って紅茶を啜った。

 彼は初め、私に二人分のチケットを渡すだけのつもりだったらしい。
「・・・伊織さんは行かないんですか。」
「その予定は無い。」
「何でです。姪御さんと行く予定だったんでしょう?」
 手帳型のスマホカバーをパタンと閉じると、千家は興味なさそうに呟いた。
「姉が行くはずだった。私ではない。」
「折角だから一緒に行きましょうよ。」
 私はどうしても行きたい。彼とカフェ以外のところへ出掛ける格好のチャンスなのだ。逃したくない。
「私は特段星に興味はない。」
「いいじゃないですか、楽しいですよ。」
「面倒だ。」
「ねぇ、伊織さんってば。」
「大学の仲間と行けばいいだろう。それほどまで私にこだわる理由はなんだ。」
 こちらこそ、それほどまで厭がる理由を聞きたい。
「友人と出かけたいと思うのに、大仰な理由が必要ですか。」
 千家は鼻を鳴らすと、仏頂面で文庫本を開く。
「あ。分かった。伊織さん、暗いと眠くなっちゃうんでしょう。だから行きたくないんだ。」
「馬鹿を言うな。」
「だったら問題ないですね、行きましょう。決まりです。」
 少し強引だっただろうか。
 千家は面倒くさそうに小さく溜息をついた。
「こんなにも熱烈に求愛されるとはな。」
・・・そこまで拒む理由は何なんですか。
 私は訊きそうになるのを、ぐっとこらえた。
 もしかしたら、例の記憶に関係しているのかもしれない。千家は頑ななまでに、あの話を嫌っている。私が彼の記憶を垣間見てからは尚更。
 それに私とは、ここでしか会わない。
 たまには別の店に行ってみようというという話にもならないし、いつも申し合わせたように集合しているだけで、別れる時に、じゃあまた、とすら言わない。
 私は彼と過ごす静かな時間を気に入っていたし、彼もそうだと思っていた。けれど、こんな風にされると自信が揺らぐ。
「・・・伊織さんは、私と出かけるのがそんなに厭なんですか・・・?」
 口にしたら、途方もなく寂しい気持ちになった。
 なんだかこのところ、こんなことばかりだ。
 千家を想うのは嬉しくて楽しいはずなのに、そのうち考えがどんどん悪い方向へ巡り、切なくて寂しくなる。
 こういうのは、すごく疲れる。
 私は彼と居たいのに、それがだんだんストレスになってきているような気がしてきた。
「そんな顔をするな。」
 目を上げると、千家は少し拗ねたような顔をしていた。
「・・・そういう態度を取られると調子が狂う。」
 調子が狂う、って、私の方がいつも貴方に調子を狂わされているの、分かっているのかな。
「お前を苛めるのが楽しくないわけではないが、萎れたお前を見たいわけでもない。」
「何ですか、それ。今のは意地悪だったんですか?」
 そうではないと思う。そんな感じではなかった。千家はなにか、はぐらかそうとしている。でも、それが、追及すべきことなのか、聞き流すべきことなのか判別がつかなくて、私はそれ以上何も言えなかった。
 千家は目を伏せて、静かに笑った。

  

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