澄んで、青く。花薫る。 10
理科実験室での授業が終わり、教室へ向かって歩いていると、反対側から館林がやってくるのが見えた。
先日のこともあり、やはりあまり関わりたくない京一郎は、軽く会釈してすれ違おうとした。しかし、
「柊、ちょっといいか。」
呼び止められてしまった。
「え・・・」
一緒に歩いていた乙若を横目で見ると、彼は物知り顔で微笑み、先に行ってしまう。
あれ以来、千家とも会っていないし、もちろん誰にも"あのこと"は話していない。
「こっちだ」
館林は京一郎がついてくることを前提に、勝手に進んでいく。
授業の合間だから、今は竹刀を持っていない。まさか校内で何かされるということはないと思うが、不安が募る。
(何の用だろう…)
今し方出てきた理科実験室を通り過ぎ、今はほとんど使われていない埃っぽい階段の前まで来て、館林はやっと立ち止まった。
「この間、」
口を開いたと思ったら、黙ってしまう。いつもの落ち着きが無いようなのは、気のせいだろうか。
「・・・・・・」
苦虫を噛み潰したような顔をして、続きを言おうか迷っているように見える。ああ、もう少しで休み時間が終わってしまう。
「館林副会長、あの」
「昼は、どこで採ったんだ?」
重ねるように、急に聞いてくる。
「昼・・・?」
「ぁあれだ、いお・・・千家が先輩として不適切な場所に連れて行ったりしていないか気になってな」
先日の、保健室での一件のことを言っているらしい。
「はぁ・・・。校外のパン屋さんでサンドウィッチをご馳走になりました。」
「立ち食いか。」
「いえ、図書館の、・・・ベンチで。」
「そんな筈がない!」
声高らかに即否定された。確かに、サンドウィッチを食べたのはベンチではなく、千家の隠れ処で、だ。しかし、あそこではあんなこともあったし、なんとなく言いたくなくてちょっと嘘をついた。
(でも、なんで知っているんだろう。)
「あ、いや、・・・・・・そうか。」
京一郎が黙っていると、その違和感に自分でも気づいたらしく、館林は慌てて納得したように言い繕った。
なんだか今日の館林はおかしい。有無を言わさない態度は変わらないが、どこか不安気というか、頼りない感じがする。
(でも、それより次の授業が始まってしまう)
京一郎が解放を願い出ようと口を開いたとき。
「ついて来ていたのか、館林。」
階段の方から聞き覚えのある声がした。もちろん、階段には誰もいない。館林はぎょっとして階段の裏を覗く。そこは大抵、壊れた机や掃除用具等の物置になっているはずだが。
「・・・伊織」
やはり、千家に違いないようだ。その姿は京一郎の立ち位置からは見えない。つくづく、変な所に居る人だ。
館林は慌てて京一郎に向き直り、早口で告げた。
「分かった、柊。もう行っていい。」
* * * * *
(なにが『もう行っていい』だよ)
京一郎は、腹を立てていた。
こちらの質問には答えず、それどころか忘れろとまで言い、そのくせ向こうの質問には付き合わせるなんて、道理に適っていない。
(それに千家先輩も。居たなら、なんですぐに声をかけてくれなかったんだ。)
何故か、むしゃくしゃが収まらない。
今日は館林のおかげで次の授業に5分遅刻してしまった。乙若が上手く教員に言っておいてくれたので、咎められず済んだのは幸いだった。
放課後、いつものように乙若と話しながら、京一郎は悪口を言いたくなった。
「乙若くんはさあ、生徒会副会長のことどう思う?」
「館林さんかぁ。一見すると、謹厳実直、質実剛健、聡明剛毅を地で行く人のように思われるけれど、実のところ、俺はちょっと疑ってる。」
そう言って、乙若はにやりと口の端を上げた。
* * * * *
「俺らは靴箱ないから、外履き持って歩くしかねーか。」
「左様ですな。ですがトウリョウ、本来なら我々は部室へ直接行くべきなんですぞ。勝手に他校の生徒が校内をうろうろしていたら、叱られはしないですかな。」
「いーんだよ、そんなの。友達に会いに来て何が悪いんだってんだ。えーっと、1年7組は、っと。あっちだ。」
学ラン姿の二人組が、校舎入口で案内図を凝視している。帝学の制服はブレザーのため、彼らはすれ違う生徒たちの注目を集めていた。
目的地の方向を確認すると、二人は廊下を奥へと進む。
「おいおいおい、オミ。向こうっから美人の大女が来るぜ。でけー!髪なげー!」
「トウリョウ、あの人はズボンを履いてます。男ですぞ。」
くすくす笑う学ラン二人。当人たちは小声で話しているつもりだが、声が大きく漏れている。
「女でなくて、悪かったな。」
噂の張本人が近付いてきて、冷たく言い放った。
「ありゃ、聞こえてたか。わーるいわるい。」
「他校生か。入校手続きは済んでいるのだろうな。」
「俺らは交流試合で帝学に来ただけだ。中学んときの後輩がここに入学したっていうから、ちょっと顔を見に邪魔してるところさ。見逃してくれよ、な!」
トウリョウと呼ばれている方が、人懐っこく手を合わせる。
「まあ、いいだろう。今日は見逃してやる。しかし次回は必ず手続を行いたまえ。でないと風紀委員会に捕まりかねんからな。」
「ご厚意、ご忠告、痛み入ります。要件は速やかに済ませますので。では。」
* * * * *
「疑ってるって?」
京一郎は身を乗り出した。それに満足したように、乙若は頷く。
「まぁ表向きはさっき言ったとおりの堅物に違いないよ、彼は。ただ、プライベートが絡むと、ちょぉっと印象が違う感じがするんだよな。柊くんそこらへん詳しいんじゃない?」
話がゴシップ染みてきた。
「僕はあの人とは親しくないから。・・・そう言えば嘘だと思うけど、千家先輩が、館林副会長はホモだとか言ってた・・・」
「え、マジで??!・・・いや、それは流石に聞いたことない・・・。てか千家先輩って3年の千家伊織さんのことだよね?柊くん知り合いなの?」
「う・・・まぁ、ちょっとだけ・・・。」
「マジか。館林さんと千家さん、学園の二大美丈夫と既にお知り合いとは、柊くんも隅に置けないなぁ」
乙若は羨ましそうにするが、知り合ってしまった事情ゆえにこちらは全然嬉しくない。
「乙若くんは、なんでそんなに噂好きなの?」
呆れながら聞いてみる。
「俺、今はジャーナリストに興味があってさ。だから、新聞部に入ろうと思ってる。取り敢えずは学園のありとあらゆる情報に通じて、自分なりの記事を書けるようになりたいんだ。」
流石、しっかりした回答だ。"今は"というところが彼らしい。
日頃の何気ない行動にまでは明確な目的や信念などない京一郎は、またしてもこの同級生に尊敬の眼差しを送らざるを得ない。
「誰が誰のことを好きか、とかも、このクラス内だったら結構把握してる。」
「え、全然気付かなかった。そういうのやっぱりあるんだ。」
俄然、興味が湧いてきた。
「まぁね。人の口から聞かなくても、観察してると意外に気付くことがある。もう少し面白くなってきたら話すよ。」
「うー気になる!」
「そうだ、柊くんが今一番気になってる人を当ててみようか。」
急に言われ、はて、と思った。そう言えば入学してから、専ら乙若とばかり一緒にいて、女子と話した記憶があまりない。見目麗しい子はいるけれど、今のところ特に興味はないのだが。
しかし、乙若はやはり、自信たっぷりにこう言ったのだった。
「千家伊織」