澄んで、青く。花薫る。  9


 憤りを隠さず頬を膨らませる京一郎を、心底面白そうに覗き込む千家。
「部活くらい、教えてくれたっていいでしょう。そんなに隠したいんですか。僕の事については、大抵知っているくせに。」
 睨み返すが、一向に動じる気配はない。
「なんだか、君とは相性が良い気がする。」
 そう言って、喉の奥でくつくつと笑う。
「僕は、そうは思いませんけど。意地悪な人は嫌いですから。」
 京一郎はそっぽを向いて冷たく言い放つ。
 すると、徐に千家がこちらへ手を伸ばしてきた。
「!何を・・・」
「・・・大人しくしていろ」
 寝起きに似た少し気だるげな声。何となく逆らえずにいると、その手は京一郎の髪の毛に触れた。
「? ・・・先輩、あの・・・」
 京一郎が怪訝そうに見上げると、ふと、千家の表情が和らいだように見えた。
 それはまるで、固く閉じていた蕾が内側の柔らかな花びらを覗かせたようで、見惚れてしまう。
 まだ出会って間もないながら、喧嘩をしていたり艶めいた挑発紛いのことをしてきたりと、京一郎の興味を強烈に引寄せる彼だが、また一つ、別の一面を垣間見た気がした。

 急に、髪から千家の手が離れる。
「ほら。」
 その指には、ひとひらの桜の花びらが。
 緩やかな風が、薄桃色の欠片をさらってゆく。一緒に、千家の長い髪もふわりと空を舞った。
 目が、離せない。
 その瞳が、指先が、少し跳ねた前髪が、僅かにでも表情を変えるのを見逃したくない、と思った。
「・・・先輩・・・」
「ん?」
 花びらが空へ飛んで行くのを眺めていた千家の瞳が、こちらへ戻ってくる。
「あのとき、なんで・・・」
「・・・あのとき?」
「・・・僕の、部屋で・・・」
「・・・君が助けてくれた時のことを言っているのか?」
「そう。・・・なんで、あんなことをしたんです?」
 本当に聞くべきなのは、こんなことではないけれど。
「・・・あんなこと?・・・悪いが、あの時は頭を酷く打たれて朦朧としていた。気付いたら君が側に居てくれたのは確かに憶えているが、それ以外のことをよく思い出せない。私が、何かしたのか?」
 千家の顔が曇る。そんな表情をして欲しいわけじゃない、でも・・・。
「う・・・」
「教えてくれ、柊くん。」
 俯いて握りしめた京一郎の左手に、千家がその右手を優しく重ねる。
「うぅ・・・」
「柊くん、さあ・・・」
「・・・先輩が、」
「・・・私が?」
 千家の息遣いを近くに感じる。でも、見上げることができない。
 首もとに、吐息がかかる。
「上になってて、今みたいに、」
「・・・今みたい、とは?」
「息が、かかって、くすぐっ・・・たくて・・・」
「ふぅん?」
 吐息が首筋を這い上がる。
「あと、耳・・・」
「耳?」
「・・・ぁ・・・」
「耳が?」
「・・・・・・」
 なんだかもう訳が分からない。朦朧とした頭で、京一郎は千家の気配だけに集中していた。

「・・・噛んで、欲しい・・・?」
「!!」
 挑発の色を含んだ言葉にはっとするのと、授業終了のチャイムが鳴るのが同時だった。
「な、なななな!」
 急いで立ち上がり、周囲に人が居ないか確かめる。
「・・・どうした」
「どうしたって・・・!もう!何するんですか!!!」
「何が?」
「っぁあ!!もう!」
 きっと真っ赤に火照っている顔を見られたくなくて、乱暴にサンドウィッチの袋を掴んだ。
「授業、終わっちゃいましたよ!早く戻らないと、次もサボりになっちゃう」
 言いながら小道を戻ろうとする。
「落ち着け。1年次の授業くらい何コマ分だって教えてやる。こんな陽気に気の詰まる教室に籠るなんて、正気を疑うぞ。」
 千家は京一郎の左手を掴み、ふあ、と小さく欠伸をする。
「ぼくは!入学早々サボり癖なんてつけません!離してください」
 つまらなさそうに手を離した千家は、そのままずりずりと腰を落とし、腰掛けていた倒木に頭を乗せた。
「じゃあ僕は行きますから」
「柊くん」
 千家は寝転がったまま、優雅に手招きする。
「あのですね!千家先輩!」
「こちらへ」
 京一郎の怒声にも構わず、おいでおいでを続ける。
「っもう!なんですか?早くして」
「(こちらへ)」
 仕方なく近付いて屈んだ京一郎に、両手を唇の横に添えて、内緒話のように無声で呼びかける。
「なんです?」
 耳を近づけると、
「っぁ!」
...甘噛みされた。
 にやり、と細められた赤い瞳と目が合う。
(この、人はっ!!!)
「せんげっ」
 立ちあがる。
「せんぱいのっ!」
 涙目だけど、多分耳まで真っ赤になっているけれど、渾身の力を込めて睨む。
「馬鹿ァっ!!!!」
  今日の千家さんはミサキみたいですね。

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