澄んで、青く。花薫る。  14



* * * * *

 同じマンションに住む伯父が心配しないよう、食事してから帰宅する旨を電話で伝えると、二つ返事で承諾された。親しい友人ができてよかった、と伯父はご機嫌のようだった。
 考えてみると、伊織とは互いに家を行き来したことになる。親しい友人というほどの付き合いはまだないが、これからそうなれたらいいと、京一郎は思った。

 沢山並ぶ洋風のおかずをどれから食べようか迷う。食べやすいように、二人それぞれの皿にまとめて少しずつ盛り付けてある気遣いが嬉しい。
「なんか、意外です。」
「何がだ」
 大分縮まった距離と、美味しい料理に、軽口もついて出る。
「伊織先輩は、もっと執事さんに偉そうな態度なのかと思いました。」
「彼を下僕のように扱えば満足か?時代劇でもあるまいし、たかが高校生ごときに上から命令されては、うんざりして辞めてしまうだろうな。」
 給仕してくれた男性は、岡平と言うらしい。
「ご家族は、忙しいんですか?」
「親は海外だ。ここ数年は滅多に帰ってこない。姉は他家に嫁いだ。親が何かと心配して、彼と家政婦を置いたままにしている。まあ、この広い家に一人にされても、掃除すらする気にならないから丁度いいのだがな。」
 伊織が弟だというのは意外だった。てっきり一人っ子かと思っていた。
「お前は、兄弟はいるのか?」
「妹が一人。気が強くて、最近はもう口じゃ敵わないです。」
「なんだか、様子が目に浮かぶ。」
「そうですか?」
「京一郎は、押しに弱いようだからな。」
 和やかに食事は進み、岡平は食後の紅茶を出した後、帰りの際に京一郎を車で送る旨を申し出て部屋を辞した。

「伊織先輩、怪我の理由を、聞かせてくれませんか。」
 紅茶を啜りながら、京一郎は核心に触れる。
 伊織は少しの間、無言で京一郎を見つめていたが、強い視線に観念したのか、溜息を吐いた。
「・・・これ以上、お前からは逃げきれそうにないな。」
 これまで何度も煙に巻かれていた真相が、近づいてくる。京一郎は、無意識に手を握りしめた。
「大帝都学園が、所謂金持ちの子供が多く通う名門校であるのは、説明するまでもないな。裕福であるだけでなく、この学園は学力偏差値も高く、卒業後の進路も、その先の就職もいい。そうすると、なにかと他校からのやっかみの的になり易くなる。」
 京一郎は無言で頷く。
「ときには、生徒が他校生から因縁をつけられたり、暴行を受けたりすることもある。そういった場合、今までは学園の生徒会から相手校生徒会へ抗議してきた。双方生徒会を絡めて当事者同士の仲裁をし、本人と生徒会から正式な謝罪を受け、事は済んでいた。」
 生徒会がそんなことまでしているとは思わなかった。だとすると、伊織は毎度他校生から因縁をつけられて怪我をしていた、ということなのだろうか。
「しかし昨年度、生徒会同士でのやり取りも終わり、解決したと思っていた諍いの当事者が、生徒会長を襲った。」
「え・・・」
「当時の生徒会長は酷い怪我を負わされ、心を病んだ。そんな中、スメラギ太志が次期生徒会長に決まった。」
 当時、中等部1年生だったスメラギは、翌年飛び級で高等部2年次へ編入することが決まっていた。この情報は早くから公開されており、それを利用して彼は異例の立候補をした。ここまでは京一郎も乙若から聞いて知っている。
「次期会長当選以降、何かにつけて、スメラギ太志が的となるのは明白だった。そこで生徒会では対策を練り、一つの案が採択された。」
「・・・一体、どんな案なんです?」
「問題が起こった際には、速やかに学園内外の不穏な動きを調査し、内部或いは生徒会同士での紳士的な対応でも決着がつかないと判断した場合は、代替で手を打つ。」
「代替・・・?」
「先方生徒会と協議の上、生贄を出す。」
「生贄って・・・!っまさか」
「お前が最初に見たとおりだ。」
 言葉が、出てこなかった。
 やはり、生徒会は伊織への暴行に関与していた。それどころか積極的に機会を誂え、彼を嬲り、見殺しにしていたのだ。生徒会長が暴行を受ける可能性の代わりに。
「・・・この、怪我も・・・?」
「先日も、生徒会同士でのやり取りの後、脅迫状が届いてな。この頃は頻繁で困る。」
 伊織の口調は淡々としていた。まるで他人事のように。明日の天気の話をするように。
「・・・なんで、それが、伊織先輩なんですか。」
「人間の拳を受けるに当たり、成長期真っ盛りの生徒は色々とまずい。となると、ある程度身体が出来ている3年次生が適当。毎回生贄を変えて、何処かからこのことが漏れることも避けたい。そういうわけで、生徒会副会長の片方にその役を任じた、というわけだ。」
 またひとつ、謎が解けた。副会長は、やはり二人いたのだ。風紀委員会が生徒会付けとなっているのも、委員長を副会長である伊織が兼任していると考えると納得がいく。
「察しがいいな。そして、風紀委員会が学内外の不穏な動きを適時監視し、内部については教員等の圧力も利用して対応している。」
 スパイ活動研究会、喧嘩部、SM教団。
 京一郎が所属の部活動を尋ねた際、伊織の口から出た嘘のような課外活動は、冗談ではなかったのだ。
「そんな・・・」
 腹の底から沸き上がる不快感に、うまく声が出ない。
 生徒会長は、自分の代わりに伊織が酷い目に遭っているのを理解した上で、のうのうと平和な日々を貪っているのだろうか。
 館林は伊織を気に掛けているようだが、それは同じ副会長としての罪悪感からなのだろうか。それともただのポーズなのだろうか。
 生徒会は、生徒の為にあるものではないのか。
 名門校と呼ばれ、京一郎がずっと憧れてきた学園は、一人の生徒へ苦痛を、屈辱を強いる、獄であったのか。
「京一郎、そんな顔をするな。」
 伊織がそっと頭を撫でてくる。
「やはり、お前にこんな話をするべきではなかったな。私が浅慮だった。」
 穏やかな眼差し。真相に、伊織の置かれた状況に痛んだ、京一郎の心をいたわって。彼にも、こんな優しい目を向ける人があるのだろうか。
 均整な顔立ちと相俟って、彼の姿は京一郎にぼんやりと聖母像をも想起させた。
――しかし、聖母の唇には血が滲むことなど無い。まして頬に痣をつくることなど、決してないのだ。

「私はあと1年で卒業するし、非公式にかかってこられた場合なら応戦できる。大丈夫だ。お前は心配しなくていい。」
「・・・伊織先輩」
「京一郎、今日はもう帰れ。」
 そう言って伊織は立ち上がり、京一郎を促す。
「僕には、何も出来ないんですか?」
「京一郎」
「こんなのおかしい。新聞とかにリークしたら、学園だってこれまで通りにはできないはずです。」
「落ち着け。風紀委員会が学内外の諜報活動をしていると言っただろう。学園にはマスメディアとのつながりもある。揉み消されるだけだ。」
「だって!じゃないと、伊織先輩が」
「京一郎。」
 そんな穏やかな顔をしないでほしい。
「こうして、たまにお前と話せたら、それでいい。十分、私は癒されている。」
 子供をあやすように髪を梳かれ、肩を抱くようにして、帰宅の準備が整った車へと誘導される。しかし伊織は、京一郎のマンションの大まかな場所を岡平に伝えただけで、同乗しない。
 いつの間にか、雨が降り出していた。
 発進した車の後部座席から振り返ると、傘を差した伊織の姿が、ぼんやりと小さくなっていった。
  岡平さん(笑)。妻子持ち。伊織んへの下心はありません。 その他今回は特にいろいろ突っ込みどころありますが、ひとまず次回もお読み頂ければとm(_ _)m

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