澄んで、青く。花薫る。  16


 乙若の鋭い視線に射抜かれ、京一郎は咄嗟に何も答えることができない。
「お前、詳しいな。あいつが副会長だってこと、知ってる奴はまずいないぜ。」
「情報収集が趣味なんで。」
 さらりと言い切る乙若。
 しかしきっと、趣味の域などとっくに超えているだろう。
「ふーん。なんかさ、ここ数ヶ月、急にあいつが派手な怪我してること増えたから、どうしたんだ、って聞いたんだけどよ。別にぃの一点張りで、口を割ろうとしねんだよな。仕方ねぇから、喧嘩した時、上手く流しながら殴られてるように見えるやり方とか、教えてやったんだけど。」
 それで、あの程度で済んでいるのか。
「乙若、お前、あいつが怪我してくる理由、知ってんのか?」
「いいえ。」
 密かに胸を撫で下ろす。だがよく考えると、別に乙若が知っていたところで何も問題はない。どころか、問題視する人間が増えた方が、これ以上伊織の犠牲を大きくしなくて済むだろう。
 なのに、不安になる。だよね?、と京一郎に振ってきたということは、一体乙若は、どこまで知っているのだろう。
 まさか昨日のことも?
 いや、流石の彼も千家邸への侵入まではしていないはず。
 京一郎がぼんやり考えているうちに、乙若は話題を変えた。
「ところで、ミサキ先生は、保健のスメラギ先生と仲良いですか?」
「体育と保健室だからなぁ。関わりたくありませーんって訳にはいかないけど、俺、あの人苦手だから、よく知らない。」
「苦手、というのは?」
 突っ込まれて、ミサキは嫌そうな顔をする。
「そーゆーこと聞くか?フツー。なんかなー、あの美貌が嘘くさいっていうか、いや違うか。でもなんか違うなーっつーか・・・違和感?そうそう、違和感があんだよ違和感。」
 少し、分かる気がする。
 さっき乙若も怪しいと言っていたが、確かに彼女は何か、変だと思わせるところがある。京一郎に限っては、伊織の件があるので多少の色眼鏡で見てしまっている可能性はあるが。
「スメラギ先生は、ずっとここの養護教諭なんですか?」
「いや、違うな。多分まだ2年目くらいだぜ。あの人の前は、ばーちゃんだったな。」
「保健委員会の担当なんですよね。」
「んー、それはほれ、もう一人のおばちゃん先生の方。あの人は生徒会の担当だろ?」
「生徒会?」
 乙若が眉を顰める。
「それは着任当時からですか?」
「随分と細かく聞くな。まぁいいけど。あの人が生徒会の担当になったのは、あれだな、スメラギ、っつってもいまの生徒会長だけど、あいつが会長選に出た頃だな。」

* * * * *

「千家さんの怪我と、保健のスメラギ先生は、何かしら関係があると思う。」
 体育教師室を出てから、声を潜めて乙若は言った。
「何で?ていうか、伊織先輩の怪我って、やっぱり目立ってるんだ。」
「いや。千家さん自身の評判は聞こえても、彼の怪我について聞いたのは、正直今日が初めて。京一郎も、やっぱり知ってたんだね。」
「だって、見れば分かるし・・・。」
「そう。ちょっとすれ違っただけでも、振り向いてしまうくらい、あの怪我は異様。なのに、まるで見えてないみたいに、気にしてる人が少ないんだよ。」
 まるで怪談のようだ。
「それって、どういう事・・・?」
「分からない。だから、千家さんの怪我に気付いてからは、俺は彼とその周辺に絞って、情報を集めてた。」
 成る程、だから館林のことにも詳しそうだったわけだ。
「それで、僕からも情報を引き出そうとした?」
 京一郎が少し冷めた声で言うと、乙若は困った顔をする。
「うーん、これはどう言っても言い訳じみてしまうけど、俺が君に近付く理由は幾つかある。まず一つ目は、ご指摘のとおり情報収集に協力してくれそうだから。理由はまた後で。次に、君の側にいると、変なフィルタを除いて物事を見れる気がするから。これも理由は後。それから、単純に君が好きだから。勿論恋愛的なニュアンスはない。」
 そう言って晴れやかに笑って見せた。少し、時雨に似ている。
「・・・・・・。」
「まず協力してくれそうな理由は、この間言ったとおり、君は千家さんに興味がありそうだし、彼と知り合いのようだから。
フィルタ云々については、さっき確信したけど、君も千家さんの怪我を不審に思っているから。だよね?どうも、今俺が確認できているだけで、京一郎、俺、ミサキ先生以外のみんなは何かしら妨害?をされていて、彼の異変に気づけないらしい。仮に気付いても気にならない、話題にしない。これは恐らく帝学の人だけ。何故なら、時雨さんや臣さんと遊んでる時、偶然千家さんを見かけたことがあるんだけど、二人ともちゃんと彼の怪我に気づいて不審がってたよ。」
 一気に喋り切って、乙若は一息ついた。
「そういう訳で、俺はこの学園で隠蔽されてる何かを、みんなの目を眩ましているものを、突き止めようと思ってる。」

 隠蔽されている何か。皆の目を眩ませるもの。伊織の怪我の理由。当然のように彼への暴行を容認する、生徒会と伊織本人。
 乙若の追っているものと、未だ霧が晴れず京一郎が悶々としている疑問の答えは、近いところにあるように思われた。

「じゃあ、僕がその妨害を除いていると思う理由は?こっちは心当たりが全くないし、それにスメラギ先生の件も繋がりが分からない。」
「それは、俺の勘。」
「・・・なんだよそれ・・・」
「一応ね、理由はある。さっき言ったとおり、千家さんの怪我に気付いてるのは、俺が知る限り京一郎、俺、ミサキ先生の3人。俺たちの共通点は、今のところ帝学関係者であること以外認められない。」
 京一郎も頷く。
「それに加えて、京一郎と俺は、クラスが同じで席も隣。仲も良い。」
「まぁそこそこ、ね。」
「そこは力強く肯定してほしいとこだけど、まぁいいや。そこで、こういう仮説を立ててみた。」
 乙若は、顔の横に人差し指を立てて見せる。
「例えば、インフルエンザ菌が舞っている教室に皆が居るとする。教室の一部では、菌を殺す煙が少しだけ出ている。煙の近くの席の生徒は、インフルエンザには罹らない。一方、病原菌の蔓延する教室に近づかないようにしていれば、やっぱりインフルには罹らない。でも教室にいれば、通常、生徒や教員は罹患してしまう。」
「うん・・・。」
「そして、京一郎か俺のどちらかが、殺菌性の煙だ。今まだ部活動に参加してない俺たちは、帝学内では他の生徒や教員と過ごすより二人でいる時間の方が多い。正直、互いの影響は大きいと思う。だから、どちらかのせいで、俺たちはインフルには罹らない。」
「僕が君とよくつるんでることは、否定しない。」
 乙若は軽く頷いて、続ける。
「ところで、ミサキ先生はインフルエンザにかかっていないが、煙ではない。何故なら、彼が煙なら、同室にいるインフル非罹患の体育教官がこの件を放置しているはずがないから。」
「確かに。彼は帝学も帝学生も溺愛してるもんね。」
 入学式の時の体育教室からの挨拶や、朝、校門に立って生徒に声を掛けている様子から、彼が自分たちを心から可愛がってくれているのを感じる。壮年の男性教員ながら、彼もまたスメラギ教諭とは違う意味で、生徒たちから慕われているのだった。
「だから、千家さんが暴行を受けていると知ったら、彼はきっと何かしらの行動を起こす。しかしそうすると、同僚のミサキ先生が、本件についてほとんど何も知らないことの説明ができなくなる。少なくとも、彼は本件に多少なりとも興味を持っているんだから、積極的でないにしたって解決のために動くはず。それでも一定以上の情報を集めようとしていないのだとしたら、やはり彼はインフル患者だ。」
「煙じゃないなら、ミサキ先生は何でインフルエンザに感染していないんだい?」
「それは、病原菌にそもそも近づかないからさ。苦手らしいからね。」
 当然、とばかりの表情の乙若に、はっとする。
「・・・待って。そのインフルエンザ菌って・・・」
「スメラギ喜咲(キサキ)による影響、だとしてみよう。」
 乙若の瞳が、挑戦的に光る。
「いやいや、飛躍しすぎてるよ。だって僕ら生徒は保健室に行くことなんて、そう滅多に無い。先生たちだってそうだ。そりゃあしょっちゅう行く人もいるだろうけど」
「彼女は生徒会の担当だ。そして、千家さんも生徒会役員の一人。かなり高順位のインフルエンザ患者候補となる。殺菌する京一郎と仲が良くても、菌床の近くにいれば、相殺できても全滅は難しい。同様に、生徒会役員は、ほぼ間違いなくインフル患者だ。」
 今朝、スメラギ教諭が伊織の髪に触れていたことを思い出す。彼の態度、彼女の態度は、その得体の知れない菌、もとい、なにかに因るものなのだろうか。
「綺麗な若い女の先生を病原菌扱いとは、血も涙もないね。」
 呆れ顔で京一郎が呟くと、乙若は苦笑した。
「よく言われる。まあ彼女は美人で若くて優しい。だから、男女を問わず、生徒だけでなく、教員たちからも人気だ。なんていうか、可愛がられてる。だから、帝学にいる人間の多くは、多かれ少なかれ、彼女の影響下にいる。」
「だから、それは極論・・・」
「そうとも言えない。少なくとも今は。」
 乙若の表情が引き締まる。
「今?」
「入学して間もなく、身体測定・健康診断があったの、覚えてる?」
「あ、・・・」
「受診しなかった奴以外、ほぼ全校生徒が保健室に入っている。教員の健診も、やっぱり保健室で行われてる。」
「でも、保健室に行くことで、先輩の怪我が見えなくなるというのは、やっぱり急だと思う。」
「そこは、千家さんの行動にも原因がある。彼はよく、自習をサボって教室を抜け出してるらしい。優秀だからそこまで必死じゃないんだね。そのうえ、彼は何故か、人目に付きづらいところに潜む。」
 確かに、図書館の隠れ処や、使わない階段の裏など、変なところにいる印象はある。
「これが彼特有の性質なのか、それともインフルによるものなのかは分からないけど。これにより、彼の姿を目にする人が極端に減る。そもそも彼とすれ違う人の数が少ないから、結果彼の怪我にも気付く確率が低まる、というわけ。」

 伊織の怪我。原因は生徒会長を守るために正当化された、他校生徒会を巻き込んだ暴行。
 帝学生徒会はこの暴行を隠匿している。生徒会の担当教員は、スメラギ喜咲。
 スメラギは、暴行の事実を隠すため、伊織の怪我に皆が無関心となるよう、なんらかの策を施している・・・?

「まぁそういうわけで、本当に君か俺が殺菌魔法を使えるのかどうか、実験したいんだ。」
 そう言って乙若はニヤリと笑う。
「実験・・・って、何するつもり?」
「ちょっと、君から離れてみようと、ね。」

 その日のうちに乙若は、黒板が見えないと言って、京一郎から最も遠い席の生徒と席を交換してしまった。
  長々しい説明文をお読みいただきまして、ありがとうございます。大変お疲れ様でした。m(_ _;)m

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