澄んで、青く。花薫る。  27(最終話)


 伊織は、昼の生徒会役員との交流に参加するようになった。厭だ、などと口では言っていたけれど、結局京一郎の粘り勝ちだね、と乙若は微笑み、館林もほっとした様子だった。
 被害者である伊織を交えて、改めてこれまでの生徒会の対応について議論がなされた。このとき既に乙若は正式に生徒会へ所属しており、京一郎は陪席として参加した。
 結果、スメラギ太志についてはその異例の就任につきすでに内外に広く知れ渡っており、年少者であるからという不利性については最早特筆するほどのことでないことを鑑み、また被害を受ける可能性を考えること自体が健全な思考ではないとして、今後特段の対策を打つ必要はないとの結論に至った。

 結局、これらのランチミーティングと、最終的な話し合いにも、スメラギ太志は参加しなかった。
 スメラギ教諭との関係性を考慮し、もし太志がミーティングに参加する場合には、伊織と彼の姉の身の保全のために内容を一部隠す必要は認めたものの、基本的に議論には太志も参加すべきであり、最終的には太志の意見も踏まえて結論を出すべきだと館林は主張していたし、スメラギ会長本人が本件に関してどう考えていたのか明らかにされることを誰もが願っていたが、それが叶うことはなかった。

 当事者の一方が欠如した状態で最終結論が出され、館林の迅速な根回しにより伊織及びその姉の身の保全のための警備要員、ミサキをはじめとする協力教員、弁護士、警察までの協力を取り付け、スメラギ教諭との対峙に備えた。

・・・結果として、スメラギ喜咲は生徒への暴行幇助及び脅迫で、警察に連れていかれた。
 加えて、彼女はその職を解かれ、そのことは彼女と生徒会の行ったことも含めて学内外に公表され、学園高等部長、つまり高等部の校長は辞任した。
 正直なところ、ここまでの大事になるとは思っていなかった生徒会の面々は、期末試験までの停学及び自宅謹慎を命じられ、改めて自分たちの愚行に恥じ入ったのだった。

 生徒会役員の処分が退学でなく停学で済んだのは、彼らの後ろ盾である両親等の暗躍があったのではとも噂されたが、警察、各専門家らによる調べによると、役員のみならず高等部全体に及ぶ一種のマインドコントロールが認められたことが処分軽減の主な理由であるとされた。
 しかし乙若が睨んでいた香水、それに何らかの危険成分が含まれるのではという推測への回答は無く、結局のところマインドコントロールを行っていたのがスメラギ教諭であるかどうかも判然としないのが現状だ。

 伊織は被害者ではあったが、"非公式"の場合における応戦については看過出来ぬとして、停学は免れたものの数日間自宅謹慎となった。

 生徒会役員は全員一度解任となり、改めて生徒会長以外の信任投票が行われた。今回の件を除き、これまでの生徒会の活動は比較的好評であったため、辛うじて過半数の得票で役員たちは生徒会に残った。
 ただし、生徒会長だけは会長選の時期を早めて交代することとなった。空白期間については、副会長の館林が代理で会長を務めることとなり、学園の女子たちは色めき立った。副会長としての仕事は、自称大型新人の乙若がサポートする予定だ。

 次期生徒会長候補の名が上がると、スメラギ太志は謹慎中ながら特例を受けて全校生徒の前に現れ、謝罪した。
 先輩にあたる生徒に継続して身体的精神的苦痛を与え続け、加えて学園の名を落とす行為を行った事は許され難く、よってその日を持って退学すると発表し、学園中を驚かせた。
 彼は退学後、仏門に入ると言っているとの噂だが、天才的な学力を持つ彼は遅かれ早かれ、どこかの学術或いは研究関連分野から声を掛けられるのだろう。

 生徒会役員の集まりに顔を出すようになったため、京一郎は定期的に伊織と顔を合わせるようになったが、先日の改めての告白への照れと、話題が伊織の渡航の件に触れるのを恐れて、二人での会話はほとんどできていなかった。
 そうこうするうちに期末考査も終わり、あっという間に終業式の日になってしまった。

「京一郎っ」
 終業式後のホームルームが終わると、乙若が肩を叩いてきた。
「本当にサッカー部の見学行くの?」
「うん。せっかく時雨さんが部長さんを紹介してくれたからね。今になっても部に所属してないの、僕くらいだって担任から叱られちゃったし。」
「ふーん。」
 乙若は京一郎の顔をじぃっと覗き込む。
「な、に・・・?」
「ねぇ、千家さんとは話した?」
「や、・・・まだ・・・」
 目を逸らす。
 今一番触れて欲しくないことと分かっていて、乙若は突いてくる。彼は、京一郎が伊織に告白したことを知っているのだ。
「今日が、学校で会える最後でしょ?渡航の日程は聞いてる?」
「いや・・・」
 顔を京一郎の目線に合わせて、乙若はしつこくじっと見つめてくる。
「本っ当に、それでいいの?後悔しない?遠恋は、多分ムリだよ。辛いよ、苦しいよ、付き合っても早々に破局だよ!!」
「うぅぅ・・・」
 追い詰められて、苦し紛れに反撃してみる。
「・・・乙若だって・・・」
「俺の館林さんは3月まで学園にいるから問題なし。話を逸らさない!」
「俺のって・・・」
「いいから!今すぐ千家さんを探して話ししないと!!行こうぜ!」
 無理矢理手を引っ張られて3年生の教室を片端から見て回るが、伊織の姿は認められない。
「きっと、もう帰っちゃったんだよ・・・。渡航の日付は、館林会長に聞けば多分知ってるし・・・」
「京一郎!」
「はい!」
 強い口調で呼ばれて、思わず姿勢を正す。
「いつぞやのあの強気はどこへ行った?君は千家さんに、貴方を守ってみせるって言ってキスまでしたんだぜ?」
「わああああ!!声が大きい!」
 慌てて周囲に聞かれていないか確認する。
「俺が言いたいのはさ、なにを今更ビビってんだってこと。きちっと別れるならそうする。もう一回気持ちを伝えるなら伝える。話し足りないことがあるなら、ちゃんと向き合って話す!分かってんでしょ。」
「だけど・・・」
「あぁぁ!・・・もう!!俺は知らん!付き合いきれん!」
 いつまでもうじうじしている京一郎に業を煮やしたか、乙若は時雨のような口調で叫ぶと行ってしまった。
「はぁ・・・」
 言い返す元気もなく、溜息が出る。
 乙若の言うことはもっともだし、京一郎だって試験が終わってからはずっと考えて悶々としていた。
 この間やっと、「行かないで」と言うことはできたが、伊織は答えずに微笑んでいただけ。あの後、帰りながら他愛もない話をしたけれど、二人のこれからに関わるような話はなんとなく互いに避けて、口にすることはなかった。
 もう彼の中で、京一郎とのことは整理がついてしまっているのかもしれないのだ。だとすれば、京一郎にできるのは笑顔で彼を送り出すことしかない。
 敢えて話すことなど伊織にはきっと無い、そう思うと、どうしても気持ちが引けてしまう。
「はぁ・・・」
 また出てしまう、溜息。

 靴を履き替えてのろのろと校庭へ向かうと、体育館から竹刀の鳴る小気味好い音が聞こえてきた。
 中学時代を思い出して、そっと覗いてみる。上級生だろうか。誰かが稽古をつけているようだ。
 面をつけた生徒が打ち込んでいくが、すいすいと流され、終いには片手で飛ばされている。何人も順番に掛かっていっているが、誰も彼に一太刀を浴びせることができずにいる。
 一通り打ち込んだ後は、短時間ずつの地稽古。さらに激しい打ち込みもやはり躱され、返される鋭い一撃に、籠手を押さえてうずくまる者までいる。
「すごい・・・こんな人、帝学にいたんだ・・・」
 流れるような剣筋は、よくわからないが剣道というより実戦剣法のようだ。まさに無双。
 元剣士の血が疼き始める。
(今更だけど、仮入部で稽古つけてもらえないかなぁ・・・)
 件の剣豪を見つめていると、いったん休憩になったらしく、向こうを向いて面を外し始めた。背丈はあるようだが意外にも首元はほっそりしていて、手拭いを外すと、長い黒髪がふわりと肩へ落ちた。
 その後姿は、見覚えがある。よく知っている。だけど、今会ってしまうにはまだ心の準備ができていない。

 黒髪がひらめいた。横顔がこちらへ向き、思わず目を逸らす。赤い瞳に捉われないように、そっと踵を返す。
 逃げる準備よし、と地面を蹴ったところで、身体を拘束された。後ろからしっかりと抱き締められている。
「どこへ行く。」
 耳朶に当たった吐息に混じる少し掠れた声は、紛れもなく・・・。
「うぅぅ」
「いまお前、逃げようとしたな?」
 もがいてみるが、腰をがっしり掴まれていて、逃れようがない。
「・・・知りません」
「このところ、私を避けていただろう。」
「そんな、こと・・・」
「ふぅん?」
 相槌を首筋に吹き込まれる。
「ん!は・・・ぁなしてください、僕はサッカー部の見学に行くんです。」
「そんなにサッカーをやりたいのか?」
「や・・・あ、そ、そうです!そうそう!」
「嘘つきめ。」
「んぁっ」
 耳を噛まれた。
 完全に、伊織のペースに持って行かれている。巻き返せない。
 と、目の前に影が差した。
「千家てめェ・・・目に毒過ぎだってんだ!さっさと出てけゴラ」
 首だけ振り向くと、竹刀でなく何故かバットを持った剣道着姿のミサキが仁王立ちでこちらを睨んでいる。
 小さく舌打ちした伊織は、京一郎の耳に唇を寄せて囁いた。
「着替えてくるから、ここで待っていろ。」
「・・・あ、でもサッカー――」
「いい子でな。」
 有無を言わさず言い置いて去っていく。
「もぅ、勝手だよ・・・」
 本日何度目かわからない溜息を吐く。伊織の触れたところが熱い。
 膝を抱いてぎゅっと目を閉じた京一郎は、女子部員達が両眼ぎらつかせてこちらを凝視していることには、少しも気づいていなかった。

「待たせたな。では、行こうか。」
 当然のように京一郎の手を取って、伊織は歩き出す。京一郎は抵抗することを諦め、導かれるままついて行くことにした。
「・・・どこへ行くんです?」
「・・・・・・。」
 伊織は答えない。しかし心なしか、その歩調には先ほどの勢いが薄れているような気がする。
「伊織先輩・・・?」
 呼び掛けると、繋いだ指が少し強く握られた。
「京一郎、」
 伊織はそれきり口を噤んだ。立ち止まって、前を向いたまま。
 表情を窺おうとしても、前髪の影が隠してしまって分からない。
「せんぱ――」
「さっき。」
 珍しく、語気強く遮られた。少し拗ねたように。しかしすぐ、声色を整えて。
「・・・なぜ、逃げた。」
「え・・・」
「とうとう、私に愛想を尽かしたか。」
「そんなこと――」
「じゃあ理由は。折角生徒会にも顔を出していたのに、お前は私と顔を合わすと目を逸らすし、図書館にも来ない。」
 居丈高な物言いにむっとした。そもそも先に離れていったのはそっちだ。
「だって・・・、先輩は僕の気持ちを知っていたのに、海外へ行くことを教えてくれなかったじゃないか。それに、ちょっと前まで図書館にも階段裏にも来なかったのは、伊織先輩のほうだ!」
 思わず出てしまった言葉だけれど、改めて口にしてみると、去って行ってしまう伊織へどう接したらいいかわからないのも、このわだかまりのせいなのだと気付いた。結局諦めはつかず、かといってどうすることもできず、恨み言ばかり湧き上がってくる。
「きょ――」
「伊織先輩はもうすぐ外国へ行ってしまうから、結局僕のことなんかどうでもいいんでしょうけどね。こっちはずっとそれも知らず、好い面の皮でしたよ。」
 どんどんボルテージが上がっていく。もう自分では止められない。
「今日だってそうだ。本気じゃないくせに抱きしめたり、今だって手を繋いだり。・・・もう、嫌なんだ。僕を置いて行ってしまうくせに、そんな風に、しないでほしいのに・・・」
「京一郎、」
「伊織先輩のことなんか、早く忘れ――」
「そんなことは許さん。」
 顎を掴んで上向かされた。
 やることも態度も尊大なままだけれど、その瞳はどこか自信なさげに揺れている。
「お前はいちいち言って聞かせないと分からないようだから言うが、お前とのことをどうでもいいなんて思ったことはない。私はいつだって本気だ。」
「・・・嘘だ。」
「ではその気がないのなら何故、一人で居心地のいい隠れ場所へわざわざお前を連れて行ったりする?私は物心ついてから開・・・館林を除いて家人以外、自室にも入れたことがない。お前が初めてだ。」
「だけどやっぱり館林会長が――」
「あいつは幼馴染で昔から出入りしていたから仕方ない。図書館の私の場所はあいつも知らない。お前だけだ。それに、」
 伊織は言葉を切った。一度目をそらして、小さく息を吸い込んで、そして少し力を込めて、言う。
「私は願いを聞いたぞ、京一郎。今度はお前が私のいうことを聞く番だ。」
 願いとは、生徒会の件を言っているのだろうか。確かに何をされてもいいと言ったが、今更なにを。
「・・・どういう――」
「夏からの大学への入学は、辞退した。早期卒業もやめた。」
「・・・え・・・?」
 そう、お願いをしたつもりは――。
「お前が・・・行くなと言ったからだ。」
 いつだって強気で、上から目線で、京一郎を翻弄するだけだった真っ赤な瞳が、不安の色を湛えている。自分の発言が間違っていないと、肯定して欲しいと言っている。
「でも、先輩、・・・」
「違うのか?」
 いつもなら耳元で囁いて、きっと返事も待たずに終わらせてしまう会話。でも今日の伊織は、はぐらかしたくないらしい。
「京一郎、お前は私に行くなと言ったのではなかったのか?」
 京一郎が行くなと言ったから全部やめた、なのに何故離れて行く、そう言いたいらしい。
 つまり、今度は伊織が、京一郎に行くなと言っているのだ。・・・素直にそう言えないだけで。
(伊織先輩という人は・・・)
 なんだか可笑しくなってくる。
 結局のところ、互いの想いを信じていれば良かった、それだけのこと。予定通り伊織が渡航してしまったのだとしても、多分、大丈夫だった。根拠はないけれど、そんな気がする。
「伊織先輩、かわいい。」
「っ・・・うるさい」
「大丈夫。僕は貴方から離れたりなんかしない。らしくない心配なんてしなくていい。」
「京一郎・・・」
「じゃあ、伊織先輩はどうなんです?もう、勝手に僕を置いてどこかへ行ったりしないって、約束しますか?」
「・・・する。だから京一郎、これからも私の側に。」
 返事をする代わりに、長い髪の流れる背中を抱き寄せる。
 面映そうに微笑む彼に口付けた。
 そして、これから起こるだろう沢山の出来事に想いを馳せる。

 梅雨明け宣言のあった空はどこまでも青く、対照的な伊織の瞳を覗き込んで、京一郎はもう一度微笑んだ。

  オワッター=3 ここまでお読みいただきまして、誠に誠にありがとうございました。はにゃにゃフワー

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