澄んで、青く。花薫る。  3


「どうしよう・・・。冷えピタ貼ればいいのかなぁ」
 何度も落としそうになりながら細長い身体をなんとかベッドに寝かせ、思案する。打たれたのは後頭部だから、氷枕の方がいいのかもしれない。
 氷嚢に氷を詰め、そっと頭を支えてその下に入れ込むと、手に触れた長い黒髪の艶に息を飲む。端正な顔立ち、男性ながらその肌の白さや極め細やかさには、看病も忘れて目を奪われてしまう。先日暴行された名残か、薄っすらと青く腫れている頬や項が痛々しい。彼が闘っている最中に感じた鬼人に出会ってしまったような恐怖は、既に消えている。
 京一郎はこの奇妙な先輩を、仄かな憧れと心配の混ざった表情で暫く見つめていた。

 何度目か分からない溜息の後。
 微かな呻き声がした気がしてベッドに飛び付くと、ゆっくりと、その目が開いた。
(まるで、紅い火が二つ灯ったみたいだ・・・。)
「ここ・・・は・・・・・・?」
 掠れた声。
「あ、えと、僕の部屋・・・です。あの、先輩、殴られて気を失ってたから・・・」
 しどろもどろに説明してみる。敵でないことは伝わった・・・、と、思う。
「・・・ふぅん・・・」
 半ば納得したような、まだ夢の中にいるような声を漏らし、負傷の麗人は半眼のまま京一郎に向かって両手を伸ばしてくる。
「あ、起こ・・・しますか?」
 京一郎も両手を差し出す。

 と、急に天地が回転した。
 後頭部が敷き布団に当たったのを感じる。
 思わず瞑った目を開くと、紅い瞳が此方を見下ろしていた。さらさらと黒髪が頬をなでる。顔が、恥ずかしくなるくらい近い。
「え・・・・・・?あの・・・」
 突然組み敷かれて混乱する京一郎を見つめ、彼は穏やかに、だが気高く微笑む。
「・・・それで、」
 二つの紅が、迫る。
「お前は・・・?」
 思考が回らない。固まった京一郎を見て、彼はくすりと笑う。
 顔が更に近付いたと思ったら、首筋に、何かが触れた。反射的に竦めると共に、何か今まで感じたことのない感覚に怯える。
「せ!・・・っんぱい・・・っ?」
「お前の・・・」
 囁きと共に落ちる先輩の吐息が首に、耳に当たり、甘く痺れる。さらりと落ちた長い髪が、頬をくすぐる。
「・・・名は?」
「!・・・っ」
 耳を軽く噛まれ、声が出そうになって思わず彼のシャツを強く握りしめた。

 ピーポーン ピーポーン
 玄関チャイムの音。
 妖しげな雰囲気に飲まれていた頭が、急に現実へと引き戻された。慌てて長身の下をすり抜けてモニタを確認すると、生徒会副会長の館林と、複数の帝学生徒の姿が見える。インターホンをつなぐと、館林が口を開いた。
「私は帝学生徒会副会長の、館林と言います。急に申し訳ありませんが、本校生徒の柊くんのお宅でしょうか。そちらに千家伊織はおりますか?」
「・・・せん、げ?」
 聞き覚えのない響きに首をかしげる。と、ベッドの上の先輩が気怠げに身体を起こした。
「・・・私の名だ。」
「え・・・」
 振り返り、改めて彼の背の高さ、そして漆黒の長髪の、紅い瞳の、白い肌の艶めかしさに気づく。それから鮮明に思い出すのは、先ほど感じた甘い・・・
「ぁ・・・わあぁ!いますいます、いま下まで連れて行きます!!」

 先輩は、千家というらしい。まだ頭が痛いと訴える彼を追い立てて、エレベーターに押し込んだ。本当はそこで別れてしまいたかったが、少し不満げに見返す紅い瞳が心許無く感じられて、仕方なく同乗する。
 1階に着くまで、互いに一言も交わさなかった。先ほどとは打って変わって、千家も接近してこない。
 エントランスの自動ドアから出ると、館林が駆け寄ってきた。
「千家!」
 しかし呼ばれた本人は返事をしない。それに構わず、館林は心配そうに千家へ近寄る。
「“非公式“があったと聞いたが、無事でよかった。怪我は無いか?」
「無事・・・ね。・・・なぜここに?」
「お前が当学園の生徒に背負われているのを見た者がいた。その生徒の外見と自宅位置から、外部生の柊京一郎だろうと推測して来てみたが、当たったようだな。」
 急にフルネームで呼ばれて吃驚する。それまで千家だけを見つめていた館林は、首だけ京一郎に向けて言い放った。
「千家を介抱してくれたこと、礼を言う。急に押しかけて悪かった。詳細を聞きたいが、千家の身体に支障ないか確認することを優先する。月曜の昼休み、生徒会室へ来てくれ。」
 そして、千家を抱きかかえるようにして、エントランス前に待機していた車の後部座席へ乗り込む。窓ガラスは黒く塗られており、連れ去られるように京一郎の横を去った千家の様子は見えなかった。他の生徒たちは、車が見えなくなるまで直立していたが、やがて去って行った。
  次回、生徒会のメンバーが明らかに。

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