コヒステフ 14 愚かに赤く篝火花
「見たい?千家先生の生け花。」
上大崎が微笑んだ。そわそわしているのを気づかれてしまったようだ。
「・・・はい。毎週見てはいますが、私のクラスは初心者用なので、伊織先生が普段どのような作品を作っているのかは、部屋に飾られたものくらいしか知らなくて。」
「おやおや。それでは弟子兼恋人失格と言われてしまうんじゃないかい。千家先生は、雑誌なんかにもたびたび取り上げられる有名人だし、彼の作品は街で目にすることもあるよ。特に、最近は。」
京一郎は言い返せずに唇を噛んだ。
しかし、前回千家の話をしたとき、天現寺橋は彼のことを知らないようだったというのに、今は京一郎以上に詳しい。明らかに、調べたとしか思えない。
やはり、なにかあるのだろうか。
「行ってくれば?」
あっけらかんと言う上大崎。
「そんな、私だってバレてしまいます。」
「いいじゃない。僕に誘われて来てみたら偶然先生がいたので、とか言っておけば。僕ならこれまでもちょくちょくこの集まりに顔出してるからさ。」
「無理です・・・」
そうこうしている間に、おお、と歓声が上がった。作品が出来上がったらしい。
京一郎たちの席はやや末席寄りで、人集りの合間から床の間の作品はよく見えない。
「後で、千家先生がトイレにでも行ってる間に見て来たらいいさ。」
天現寺橋はさして興味無さそうに、刺身を口に放り込んだ。
両脇を数寄者たちに抱えられるようにして、やっと千家は席に着く。ちょうど京一郎たちの席からはぎりぎり声が聞こえないくらいの距離。
陰陽師二人の目が鋭くなる。
「さっきお話が途切れましたけど、お二人がここに居るのは、伊織先生を監視するためなんですか?」
「そんな仰々しいことではないよ。けれど、彼を無視するわけにもいかない。僕らを呼んだのは、さっき挨拶をしていた主催者のS藤さんだ。彼はこの会合で不審なことが起きているのではないかと心配している。」
京一郎は首を傾げる。
「伊織先生が、なにかおかしな事をしていると?」
「そうは思わない。」
上大崎が表情を固くしたまま呟く。
「だけど、あれだけこの場に影響を及ぼす人だからね。」
(華道界で千家の実力はなくとも、伊織先生自身は着実に影響力を着けてきている、ということか・・・。)
そのとき、ひときわ大きな笑い声が上がった。その中心には、千家が。微笑みながら、隣席の女性に酌をしている。
あらありがとう、とばかりに千家の頬にキスをする女性。
京一郎は心臓を鷲掴みにされたような気になった。
「あー・・・。京一郎くん、見ちゃった?」
上大崎が困ったように訊いてくる。
訊かないで欲しかった。
「ああいう人は結構多いし、あまり深い意味はないから。気にしない方がいいよ。」
労わるように言う上大崎に、天現寺橋は冷たい視線を向ける。
「上大崎はしょっちゅうだもんな、ああいうの。」
「あれ、もしかして妬いてくれてるの?」
「・・・は?」
しかし京一郎には、陰陽師二人のやり取りなど耳に入らない。
目を逸らしたいのに、双眼は焦点を千家に固定して動かない。
千家は女性からのくちづけをさして気にする様子もなく談笑を続けている。
そのうち、席を移動して今度は好色家風の美形の男性の横に座った。洒落た洋装ではあるが、壮年に差し掛かった人気歌舞伎役者といったところ。
ここでも、酌。相手が盃をあおる間に大皿の惣菜を取り分けていると、請われたのか、箸でひとつつまんで口へ運んでやった。
さりげなくその手を握る色男。この人間も下心ありか。
「京一郎くん、何度も言うようだけれど、千家先生はここで営業しているだけだ。」
天現寺橋が心配そうに声をかけてくる。
「わかってます。必要とあらば、枕営業もやむなし、くらいのつもりでないと、価値を保てないんですよね。華道家としての。」
「そこまでは言ってないけど・・・」
「私だって子供じゃないんです。その程度、分別ついてます。」
(相当怒ってるな、これは・・・)
顔を見合わせた二人は、その場の空気が微かに澱んだことに気づき、鋭い視線を広間に向けた。
「・・・あの人。」
「うん。」
上大崎がすっと立ち上がり、床の間の花を眺める女性へ近づく。
女性はうっとりとした表情で生けられた花へ手を伸ばし、その指先が花弁に触れた途端、糸が切れたように気を失って倒れた。
すかさず横に待機していた上大崎が支え、懐から符を取り出してなにごとか呟く。程なくして女性は意識を取り戻した。
一連の動作は流れるように、まるで示し合わせたように行われ、他の参加者たちは彼女が倒れたことに気づいていないようだ。
「なん・・・ですか、あれ・・・」
驚きを隠せない京一郎に、天現寺橋はあまり見つめるなと警告した。
「あれが、不審なことのひとつだよ。」
上大崎に介抱され、女性は嬉しそうに礼を言っているようだ。
すると、また別の男性が花の前に近づいていく。
「あの人も、倒れてしまうのでは?」
「さぁ、どうだろうね。」
果たして天現寺橋の言う通り、先ほどの女性と同じように花に触れた男性に異変は起こらず、彼はふん、と鼻を鳴らしてまた席へ戻っていった。
「あ、千家先生が離席するよ。さぁ京一郎くん、花を見てきたらどうだい。」
天現寺橋に促され、京一郎は床の間へ近づく。
赤や濃いピンクの松葉牡丹が乱れ咲く中、所々に施された黒百合が不気味さを醸し出し、一方で季節外れの白い菫や釣鐘草が清楚さを主張する。
色合わせだけ見れば若い女性が好みそうではあるが、花たちが醸し出す雰囲気は可愛らしいとか綺麗とか、そういった言葉がそぐわない。言葉を選ばなければ、不気味な作品。しかし、なぜかそこに美しさを感じ、惹かれてやまない。そういうところも千家の魅力なのだと、改めて思う。
無意識のうちに花弁に触れていた。
はっとして振り向く。
(いま、誰かの気配があった・・・?)
背後に。
しかし振り返っても、そこには主のいない座布団がぽつんと置かれているだけ。空席ではない。誰かが食事した形跡があるから、席を移動したか離席しているだけだろう。
となると、いま感じたものは、人ではない。
恐らく、なにか良くないもの。
死霊よりも、強く悪意を持った、何か。
もう一度、京一郎は床の間を見つめる。生けられた花そのものからは、何も感じない。ただただ、美しく造形された植物があるだけ。
(異変の原因は、花そのものではない・・・?)
天現寺橋の横へ戻ると、天ぷらを頬張っていた。
「ろうらっら?」
「天現寺橋さん、がっつき過ぎです。」
「普段はろくな物を口にしてないからね。こういうときに食い溜めしておかないと。こんな高級なお店で食べる機会なんてそう無いんだから、君ももっと食べたらいい。」
そう言って、自分の皿の天ぷらを分けてくれた。
「で?なにか感じたかい?」
「・・・花からは、なにも。でも、背後に気配を感じました。死霊ではない、しかしなにか悪意を感じる・・・」
ふむ、と唸ると、天現寺橋は鴨肉を口に運んだ。
何気なく入り口に目をやると、千家が初老の男性と戻ってきた。
ぽんぽんと肩を叩かれ、はにかんでみせている。
(あんなの、伊織先生じゃない。)
彼お得意の社交辞令、多彩な笑顔をサービスしているだけだ、きっと。
・・・でも。
(私は、あんな顔見たことない・・・)
そう思ったところで、まだ恋人としての付き合いが浅いことを思い出し、ここまで己は妬み深かったのかと京一郎は落ち込む。
千家は男性に軽く頭を下げ、先ほどとはまた異なる席に座る。
そこに女性が数人集まってきて、スマートフォンで写真を撮り始めた。その場にそぐわない振る舞いに顔を顰める参加者もいるが、彼女らは全く気にする様子もなく、千家に抱きついてきゃあきゃあ言っている。
すると堪忍袋の尾が切れた、といった体で、40代くらいだろうか、輝かんばかりの美貌の女性が千家を引き剥がし、別の席へと連れて行った。
「・・・天現寺橋さん、私、もう帰っていいですよね・・・」
わなわなと唇を震わせる京一郎。
天現寺橋はまぁまぁ、と宥めながら、ふと口の端を上げる。
「ねぇ京一郎くん、仕返ししたいかい?」
「え?」
「以前、街で偶然会ったとき、僕は君に助けてもらった恩があるからね。今日は、僕が君に協力しよう。」
「・・・天現寺橋さん?」
「ふふふ。」
そして、相変わらず食べ物を絶え間なく口に運びながら、天現寺橋は千家に視線を送り続けた。
「よし、こっちを見た・・・!」
「え、誰が?」
京一郎の声を遮るように、天現寺橋は京一郎にしなだれかかる。
「ちょ、天現寺橋さん?!」
「いいから、このまま。・・・ふ。ここに居るのが君だって気付いたね、あれは。」
「もしかして伊織先生・・・?や、誤解されますから!」
「いいんだよ、そのために、・・・やってるんだ。」
言いながら、艶めかしい手つきで京一郎の前髪の先をつまむ。あたかもくちづけを誘うような仕草に、京一郎は慌てて顔を背ける。
「天現寺橋さん!」
「前髪にゴミがついてただけだって。・・・あ、知らん振りしたな。」
これ以上やっても無視か、と呟き、天現寺橋は京一郎から離れた。
「もう~!なにするんですか!」
涙目の京一郎に、天現寺橋は不敵な笑みを返した。
「さて、この後の展開が楽しみだね。」