コヒステフ 15 アンチューサ暴く


「ちょっと君たち!」
 ミーハーな女性陣に捕まってなかなか自席に戻れずにいた上大崎が、青褪めた顔でぬっと現れた。彼はその見た目の良さも相俟って、テレビ番組に呼ばれることもしばしばあるちょっとした有名人なのだ。
「おや、遅かったな、色男。」
 煮物を頬張りながら天現寺橋が振り返ると、上大崎は目を三角にしてぷるぷると震えた。
「よくもそんな・・・!僕ぁ見ていたんだからね!バッチリ。特に京一郎くん!!」
 びし、と指差され、京一郎は思わず背筋を伸ばす。
「は、はい!」
「君は千家先生という人がありながら、天現寺橋とい・・・イチャイチャするなんて!見損なったよ!」
 天現寺橋発案の千家に対する”仕返し”を、どうやら見ていたらしい。
「・・・あの、上大崎さん、」
 誤解を解こうと京一郎が口を挟むのを無視し、続けて上大崎は天現寺橋に指を向ける。
「天現寺橋もだ!付き合いたてホヤホヤの子に手を出すなんて、ガッカリだよ!」
「上大崎、あのさ、」
「二人とも正座して!」
 怒り冷めやらぬ様子の上大崎は、目の前の畳をぱしりと叩く。
「僕に続けて言うこと!今後こういったふしだらなことはいたしません。はい!」
(・・・ちょっと天現寺橋さん、どうしてくれるんですか!)
(まさか彼が見てるとは思わなかったんだよ。不可抗力だ。)
(取り敢えず従っておくしかないですよね。)
(そのようだね・・・)
 俯いたまま高速にアイコンタクトを取り合った二人は、口を揃えてぶつぶつ復唱した。
「よろしい。」
 満足そうに微笑む上大崎。
 それでも天現寺橋は面白くなさそうに低く呟く。
「・・・僕らが意図していたのは君じゃなくて、千家先生の嫉妬だったんだけどね。」
「んん、何か言ったぁ?」
「いいや、なんでも。」
("僕ら"じゃなくて、天現寺橋さんだけが、でしょう!!)
「ちょっと、私、お手洗いに行ってきます。」
 溜息をつきながら立ち上がる京一郎に、ひらひらと天現寺橋は手を振ってみせた。

「うぅ・・・もう帰りたい・・・」
 手洗いを出て、ぴかぴかに磨かれた床をとぼとぼと歩く。
(ん、何だろう・・・)
 ふと漂う芳しい香りに京一郎は足を止めた。
 見回すと、小さな部屋の引き戸が少し開いている。部屋の中には座布団や食器を乗せる塗り物の懸盤、和紙や木でできた箱などが重ねて置かれており、どうやら物置のようだ。
(香りの正体だけ。それがわかったらすぐに出るから・・・)
 京一郎は、扉の間からそっと身体を滑り込ませた。香りをたどって奥へと進む。
「あ、これかぁ。」
 明り取りの小さな窓の外に、金木犀がたわわに咲いていた。空気の入れ替えのためか、窓が半分開いている。
(もうすっかり秋になったんだな。)
 窓枠に手を掛けて、少しひんやりとした空気と花の香りを吸い込む。

 と、引き戸の閉まる音がした。
 カチ、と鍵のかかる音も。
 振り返ろうとして、身体が強張る。
 背後に誰か、居る。足元から髪の毛の先まで、じっと視線を向けられている。
「・・・ふぅん。」
 この声は――。
「伊織先生?!」
 振り向こうとした。しかし、一瞬早く手を窓枠に縫い留められ、身体は壁に押し付けられて動けない。
 京一郎の首元に顔を寄せて、千家はすん、と息を吸った。
「・・・他の男の臭いがする。」
「っ!」
 唇が耳に触れるか触れないかのぎりぎりの位置で、千家は低く呟く。
「こんなところで、何をやっている。」
「・・・知人に誘われて。伊織先生もいらっしゃるなんて、奇遇ですね。」
 京一郎は平静を装って答えた。が、当然ながらお気に召さなかったようだ。腕を押さえつける力が強くなる。
「私のものであるお前が他の男と居るのだ。これは私に対する侮辱と受け取って、いいのだな。」
「痛っ・・・伊織先生だって。香水のにおいをぷんぷんさせて、よく言う。」
 言い返すと、腕を引いて身体を裏返された。背中が壁にぶつかる。
「ほう。ではあの男は、その当てつけというわけか。」
 千家の身体と壁に挟まれて、やはり身動きが取れない。左手で腕を押さえつけたまま、千家は右の指で京一郎の唇に触れた。
「京一郎、お前は私にどうして欲しいのだ。この程度の会合にすら出ることを厭われては、正直困る。言ったではないか、価値を保つ必要がある、と。」
 甘い声で囁きながら、唇の間を割って指が侵入してくる。
「ほぁ・・・んんっ!」
 再び触れるか触れないかの際どさを保ちながら、千家の唇が首筋をなぞる。
「・・・まだお前を抱いてこそいないが・・・、」
 身体がびくりと震えた。
(いま、抱くって・・・)
 先日、中断されて曖昧になった。あのとき言った"続きはいずれ"とは、やはりそういう意味・・・。
 言葉にされることで、京一郎の感受性はより高まって。
「お前が余人の影を纏っていると、直ぐ分かる。」
 千家は京一郎の胸に顔を埋める。ぞくりとした感覚に、京一郎は身を捩らせた。
「ぃ・・・おり先、生・・・っ」
「・・・不愉快だ。」
 着物の合わせ目を咥えた紅い瞳が、艶のある豊かな髪の間からじっと京一郎を見上げた。
(怒っている・・・)
 これこそ、天現寺橋の思う壺だ。しかし。
(私だって、怒ってるんだ・・・!)
「・・・らあっ!」
 京一郎は渾身の力を振り絞って千家を突き飛ばした。
 少し、着物の襟が千切れてしまったようだ。天現寺橋には悪いが、京一郎のせいではない。齧った千家が悪い。
 床に転がる寸前に受け身を取って立ち上がった千家は、さして驚いた様子もなく口の端を上げる。
「この間も思ったが、やるな、お前。柔道部だったか。」
「経験はありますが、いまは居合道部です。そんなことより、」
 京一郎は襟を正しながら、千家を睨んだ。
「私だって怒ってるんです。伊織先生。」
「ほぅ?私がこの会合に出席したことにか。」
「それは・・・ある程度、仕方ないのかもしれませんが、」
「ではなんだ。私を突き飛ばすほどのこととは。」
 千家は着物の埃を払いながら、薄笑みを湛えて腕を組む。
「・・・誰に、させたんです・・・?」
 いま、この場で言うべきことではない気がした。千家の立場上、長時間の離席は好ましくない。本来ならせめて明日、彼の部屋を訪ねてそこで訊くのがベストだ。きっと。
 だが、千家に対して並々ならぬ感情を持つ可能性のある人間がこれだけいて、そんな輩の相手を頻繁にしているとなると、京一郎は居ても立ってもいられなくなる。明日までなんか、我慢できない。
「何のことだ。」
 傲慢に言い放つ甘い声。よくも白々しく。
「・・・キス、です。」
「キス?」
「もっと言いましょうか。貴方は、・・・」
 声が揺れそうになって、一度言葉を切った。深く息をして、千家の首元を強く見て、もう一度はっきりと言う。
「貴方は、それ以上のことをしたんでしょう?私と付き合ってから、まだ数日も経たないうちに。」
 言葉にすると、そのおぞましさに唇が震える。
 しかし、千家は首を傾げた。
「お前、何を言って――」
「しらばっくれるな!」
 思わず叫んでしまった。口を噤む千家。
「・・・・・・」
「証拠なら貴方の身体に刻まれている。Tさんから聞いたときは半信半疑だったけど、いま、改めて確認できてしまっ・・・」
 千家の襟元を見つめて、京一郎は歯を食いしばった。
 やはり、ある。ふとした拍子に見え隠れする、鬱血の痕。
 それを問い質したかったのだろう?己は。
 はっきりさせたかったのだろう?楽になりたかったのだろう?
 そう思うことで奮い立たせようとするが、ずくずくと疼く胸は、喉を、頬を、目を、支配する。
「・・・はぁっ・・・。前にも見た・・・でも私は、・・・貴方が・・・・・・」
「・・・・・・。」
「さっき、・・・貴方は私を、貴方のものだと言った。なら、貴方だって・・・・・・私のものだ。」
 いつの間に己の欲望は、”気持ちに応えてほしい”から、”所有したい”に変わっていたのか。
・・・否。きっと、好きだと気づいたときから、ずっと。
(私は、伊織先生のすべてが欲しい。)
「もう、誰にも、・・・触れさせたくない・・・!」
 千家は黙って聞いていた。怒りも嘲笑もなく、ただ凪いだ瞳が静かに。
「・・・お前は私の誠実を疑っている。それも、昨日今日からのことではない、というわけか。」
 静かに、千家は問う。
「・・・・・・。」
 そうは思いたくなかった。疑いたくなどなかった。けれど、状況証拠がある以上、類似のことが一度でない以上、説明を求めずにはいられない。
 震える唇を噛みしめ、涙を浮かべて見返す京一郎に、千家は微笑まなかった。
「ならば、その目で見ればいい、京一郎。私の身体を、暴けばいい。・・・さぁ。」
 そして両腕を広げる。
「・・・・・・・。」
 千家の行動が理解できず、京一郎は黙った。
 からかっているのではないことは、分かる。しかし、いったいどうしろと。
「私に触れるのも厭か。ならば、そこに居るだけでいい。」
「・・・そ・・・」
 千家は京一郎を見据えたまま、羽織紐を外した。柔らかい衣擦れの音とともに、藍鉄の羽織が床に落ちる。
 そして後ろ手に帯をほどく。しゅるしゅるという音にどきりとする。そして帯も床へ。
 着付けにうるさい千家は帯の下もしっかり紐で留めているから、それも音を立てて剥ぎ取られる。
 モスリンの紐と一緒に、グラデーションのかかった滅紫の袷がしゃらりと落ちた。
・・・目が離せない。
 千家が一枚、もう一枚とその身に纏う布を脱ぐたびに、否応なく色めき立ってしまう。己の両眼はいやらしく光っているのではないか、そう思うと死にたい気持ちになる。
 けれど、京一郎は身じろぎすらできずにただ息を飲んで見つめる。京一郎のほかに誰もいないこの部屋で、千家が少しずつ自らの膚を暴いていく様を。
「・・・いいのだ、京一郎。お前だけの身体を、よく見ろ。」
(そんな風に見つめて甘い声で囁かれたら・・・)
 そして金木犀の甘い香り。月明かりに曝されて匂い立つような恋人の脱衣。
「・・・ぁ・・・」
「・・・・・・いいのだ・・・。」
 静かな声。しかし千家は、微笑まない。
 長襦袢を留める紐がほどかれ、また衣擦れとともに布が落ちる。
 肌襦袢の細い紐も解く。
 そのとき、京一郎はようやく気づいた。千家がほとんど左手を使っていないことに。
 肌襦袢には細い紐がついていて、脇の下で結ぶようになっている。だから左脇はともかく右脇は、右手だけで扱うより両手を使った方が楽だ。しかし、彼は左手を使わず右手だけでほどいた。左手は、まるで使わないものと決めているかのようにだらりと下がったまま。
(伊織先生、なぜ、左手を使わないんだ・・・?右利きにしても、不自然・・・――)
「――っ!!!」
 はらりと肌襦袢が払い落とされると同時に、千家の上半身が露わになる。
 引き締まった身体。滑らかな白い膚。
 しかし、明り取り窓が運ぶ月の光は、容赦なく暴く。その膚に刻まれた無数の――。

  京一郎さんの乱暴者っw

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