コヒステフ 23 かなしきオオアマナ


 数日後、京一郎は天現寺橋の事務所を訪れ、改めて事の顛末を報告した。
「それは良かった。呪いの痕に君がキスマークを上書きすることで治るなんて、なんともロマンチックじゃないか。」
「でも、根本的に解決したわけじゃないですよね。私にできるのはあくまで対症療法で、タイミング悪く私が伊織先生に会えなかったら、またこの間のような重い症状に苦しむことになる。」
「それは恋人なんだから、片時も離れなければいいだけの話だろう。シンプルで、実に耽美だ。」
 ソファの肘掛に片肘をついて、天現寺橋はうっとりと呟く。
「そういうわけにはいきませんよ。一緒に暮らしてるわけじゃないし、伊織先生が仕事で遠出することだって、私がすぐに会いに行けないことだってあります。」
 京一郎が生真面目に言うと、陰陽師はくすりと笑った。
「現実は、そう甘~いものじゃない、ってわけか。」
「そうですよ。」
「京一郎くん、だけどね。千家先生の呪いは、きっとそのうち自然に消えると思うよ。」
 意外な言葉に、京一郎は耳を疑った。
「え?だって呪いを掛けた本人はもういないし、でも呪詛にはあんなに強い力があるし・・・」
 専門家の言うことだからとは思うが、信じることを躊躇ってしまう。
 天現寺橋はソファに座りなおすと、コーヒーをひと口啜って、徐に言った。
「自縄自縛、って言葉を、君は知っているかい?」
「それは、まぁ・・・。」
「千家先生は苦しみに縋っていたと言ったんだろう。つまりは、そういうことさ。」
「あの、よく、分からないんですけど・・・」
 ふむ、と息を吐き、天現寺橋はコーヒーに角砂糖を追加でぽとりと落とす。
「呪詛そのものの影響は、随分と前に終わっていた、ってこと。現に、彼のお姉さんの右手は回復していた。」
「確かにそのようでした。でも伊織先生は、彼女は左手をいつも使っていると言ってたんですよ。」
「それはきっと、呪いの影響下にあるときに無理矢理左を使っているうち、そっちに慣れてしまったんだろう。いつの間にか呪いが消えて右も使えるようになっていたからといって、長く使っていなかった手を改めて再び利き腕として使うのは、これまた億劫なことだと思わないかい。」
 そう言われてみれば、なんだか納得してしまいそうになるが・・・。
「じゃあなんで伊織先生には呪いが残ったんですか?元々お姉さんにかけられたものだったのに。」
「だから、それは残ったんじゃない。残したんだ。」
「呪った人が?」
「違うよ。千家先生本人が、さ。」
「え・・・・・・」
 どういうことだろう。京一郎は天現寺橋の次の言葉を待つ。
「彼は、姉の代わりに家元を継ぐことにした。継いだからにはかつての千家流の力を取り戻そうと、多くの苦難を乗り越えた。しかしそれには嘗める胆が、背に受ける薪が、必要だった。」
――辛うじて仇として残った消えない呪いを無くしてしまったら、これまでなりふり構わず突き進んできた意味が無くなってしまう・・・
 先日の千家の言葉が耳に甦った。
「・・・呪いの効果は無くなっていたのに、伊織先生が自ら望んだから、症状自体は存在し続けた・・・?」
「そういうこと。だから、自縄自縛ってわけさ。現に今回、君を拒めば拒むほど症状は悪化した。それはつまり、彼が強く呪いを望んだ結果、ということだ。」
「・・・・・・」
 京一郎は今の己より若い頃、辛い未来を選んだ千家に想いを馳せる。
 もとより家元を継ぐ予定のなかった彼には恐らく別の道が待っていたはず。明るい未来に胸弾ませていたかもしれない。念願叶って東京へ出てきた、自分のように。
 そう思うと、なにも無理に継がなくても良かったのではないか、などと考えてしまう。まだ未成年だったのだし、家や流派の存続より目の前の幸せを優先しても。
 しかしそうなると、あの雨の夜、彼は京一郎を見つけなかったかもしれない。もしあの時出会わなかったとしたら、二人がどこかで巡り合うことはあったのだろうか・・・。
「ま、でも千家先生は最終的に君を受け入れた。呪いの症状のたびに君のくちづけを受けることを、自ら選んだんだ。恐らく少しずつ、彼自身が綯っていた縄も、消えていくんじゃないかな。」
「そう、ですか・・・」
 安堵に微笑む京一郎を眺めながら、陰陽師は曖昧に微笑み返した。
(本当はもっと簡単に消す方法も、ないわけではないのだけれどね――・・・)

「なら、あと残る謎は、伊織先生の作品の件ですね。」
「あぁ、それもね。現象の発生要因としては実に類似のものだと思うよ。」
 天現寺橋の言葉に京一郎は首を傾げる。
「伊織先生が、花に人を近づけたくないと思っている、とかですか?そんなことって・・・」
「いや、そうじゃない。恐らくこれについて彼は直接関係ないだろうね。」
「じゃあ、千家流に敵対する誰かが?」
「違うな。」
 ますます首を傾げる京一郎。天現寺橋はコーヒーのお代わりを用意しようとした式神に、茶を所望する。
「君は依頼人のS藤さんについて、千家先生から何か聞いているかい?」
「いえ。何も・・・。」
「そうか。まぁ掻い摘んで話すと、この現象を起こしているのは、恐らくS藤さん本人だ。」
「えぇ?だって、そもそもこの現象を解決して欲しいと、彼が天現寺橋さんたちにお願いしてきたんでしょう?」
「そう。原因が自分だとは知らず。」
 陰陽師は皮肉に笑った。
「彼はね、先代家元、つまり千家先生のお祖母様を慕っていたんだよ。とても深く、ね。で、彼女が亡くなった後は、千家先生に惜しみなく協力してきた。それが最近、親戚の家の蔵の片付けを手伝った際、彼の叔父の日記を見つけてしまったそうだ。」
 日記には、千家流への恨み、先代家元への恨み、ひいては何とかして彼女を引き摺り下ろしてやりたいという言葉が、ちょうど千家の姉が家元就任を諦めた頃まで繰り返し綴られていたという。その中には胡乱な術者との交流の記録もあり、S藤は、千家流家元就任騒動にはこの叔父が一枚噛んでいたのではないかと思い至った。
 愛しい人の忘れ形見を護ってきたつもりだったが、彼らを苦しめたのは己の血縁者だったかもしれない。もしかして、過労によるものと思っていた彼女の死も、彼の手によるものだったとしたら。
 そう思うと、夜も眠れなくなった。
 彼は贖罪の気持ちで、それまでより積極的に千家に華道家として売り込む場を提供した。
 しかしいくら千家に力を貸したところで、彼の罪悪感は消えず、千家の作品から先代家元の技を感じる度、同時に千家が不調に苦しむ姿が脳裏をよぎって苦悩したという。
「千家先生に先代の面影を、その作品に仄かな懐かしさを感じるとともに、彼の苦しみを思い返す、そんなことを繰り返すうち、官能性の高い人がS藤さんの目の前で作品に触れると、何らかの影響を受けるようになってしまった、と僕は考えるね。」
「つまりS藤さんが花に近づく人へ呪いをかけた・・・?」
「呪いというより、彼の不安な気持ちが生き霊のように彷徨った、という表現の方が近いかもしれない。」
「・・・六条、御息所・・・」
 京一郎の呟きに天現寺橋は笑って、そんな怖ろしげなものじゃないさ、と言った。
「もしかしたら、S藤さんは千家先生の不調については患っていることを知っているだけで、彼の目に浮かぶ千家先生の苦しみようは想像なのかもしれない。だとすれば尚更、妄想が悪い方向へ膨らんで、こんな現象が生まれそうじゃないか。」
「そういうもの、ですか。」
「怪奇現象なんて、妖やら呪いやらと原因が分かり易いことも勿論あるけれど、人間の心の気まぐれで、ふっと生まれてしまうことだってあるんだよ。案外、曖昧なものなのさ。」
 だから、このお札を売ってあげたんだ、と天現寺橋は得意そうに懐から出して見せる。
「これは・・・、なんだか御利益のありそうなお札ですね。色も沢山使われているし。」
「だろう。これは、貴方と貴方の周りの持つ罪咎を吸い込んで浄化するものです。しかも貴方のためだけに書かれた特注品です。」
「おぉー!」
「・・・なんてね。」
 感心する京一郎に、天現寺橋は護符をひらひらさせながら人の悪い笑みを浮かべてみせた。
「・・・え?」
「特別に書いたのは本当だけれど、罪咎を吸い込んで浄化なんて、出来るわけないだろ。本当に罪や咎を背負う人間が、符ごときで楽になってもらっては困る。」
「え、だけど、そう言って売ったんですよね・・・」
「200万円でね。」
「に、・・・ひゃくまんん?」
 開いた口が塞がらない。200万円なんて、時給千円のアルバイトなら2000時間、1日8時間働いたとしても、250日かかる。月に20日シフトを入れても、1年では貯まらない。学生には簡単に手に入れられる額ではない。それを、こんな紙切れ一枚で・・・。
「もちろん、依頼料とは別さ。」
「えぇー・・・、でもそれ、詐欺・・・に、ならないんですか?」
 京一郎が不審そうに尋ねると、表情を改めて陰陽師は言ったのだ。
「僕らの仕事は、実際に妖を調伏したり呪いを解いたりという特殊技能に基づく作業ももちろんだけれど、常に依頼人の気持ちを汲み取って、いかにして彼らを楽にしてあげるかを考えるのも大切なんだ。」
「はぁ・・・。」
「いいかい。原価せいぜい60円の和紙に僕の書いた手間賃を時給8000円として乗せたところでこの符の作成には2000円ほどしかかかっていない。」
(内職で時給8000円って、すごいな。)
 先日の不眠の件で通常通りの報酬を要求されていたらどうなっていたことだろうと、京一郎はこっそり冷や汗をかいた。
「それでだ。まぁほんのちょっとの利益にしかならないけれど定価を3000円と設定してみる。その符を買ったとしたら、君はどの程度の効果を期待する?」
「うーん・・・まぁ、けっこう効くかも?くらいですかね。」
「では、200万円払ったら?」
「もの凄く効果ありそう、っていうか、ないと困ります・・・。」
「だろう。そう思うことが、効果を最大限引き出すんだ。この符にだって何の力も込められてないわけじゃない。結局のところ、持つ人間がどこまで信じて期待できるかが肝要ってことさ。」
 お茶請けの煎餅がないね、と天現寺橋は式神を呼んだ。
「でも、もし効果が出なかったら、どうするんですか?」
「そのときは、センセイとボクの総力を挙げてアフターケアします。ね、センセイ。」
「そう。その場合は追加料金をいただかない、って寸法さ。」
 そして陰陽師の言うとおり、しばらくすると千家の生けた花に絡んだ怪奇現象は起こらなくなったという。

* * * * *

 朝夕はコートと手袋が手放せなくなってきた頃、京一郎はサイダァを片手に純喫茶 聖樹を訪れた。
「いらっしゃいませえ。あれ、柊じゃん。」
「あ、野々村。なんで君がエプロンなんてしているんだい?ワカくんは?」
 カウンターの奥からミサキがにかっと笑いながら顔を出した。
「あいつは今ちょっと里帰り中。いろいろ思うところが出てきたんだってよ。」
「だからその間、俺が手伝ってるってわけ。」
「へぇー。あ、じゃあこの差し入れのサイダァ、ワカくんの分取っといてくださいね。こっちに戻ったら渡してほしいので。」
「へいよ。ん、野々村、そこの雑誌片付けとけ。」
「あ、はい。」
 野々村がカウンターから手に取った雑誌を何気なく眺めて、京一郎は微笑んだ。
「ここのお店にお花の雑誌を置いてるなんて知りませんでした。ね、ちょっと見せてよ。」
「あぁ、それはあれだ。お前ェらの学校の館林が置いてったんだ。なんでも、友人が特集されてるらしいぜ。俺にはさっぱりだけどな。」
「館林さん、すっかり常連なんですね。」
 野々村から雑誌を受け取り、ぱらぱらと捲った京一郎は思わず声を上げる。
「ぇ・・・・・・えええっっ!!!」

千家伊織先生の花菜時間



-----目次頁内容-----

『花菜時間』20x5年冬号
総力特集 ときめいて、花ともてなす
特集1 花で歌う華道家・千家伊織という人
特集2 今熱い!お花と和紙と加賀友禅
◇英国コッツウォルズの庭園から学ぶガーテニング
◇パリジェンヌが選ぶシンプルデコラティブとは
◇あなたも新種に挑戦!交配のコツ
◇着物で神良坂花雑貨巡り

《20x5年冬号の表紙の花》
 当誌でももはやお馴染みの、千家流家元・千家伊織先生。彼の近年の連作・小倉百人一首歌花シリーズが先日、新宿伊勢天本店での公開ライブ制作により、完結した。
 当日は買い物客や花好き、千家ファンの女性陣に加え、海外からの観光客や各種メディアの記者も大勢駆けつけ、一時は入店に規制がかけられるほどの賑わいようだった。
【CHECK!】
 ライブ制作の様子を撮影した動画及び千家先生のすべての歌花の写真は、花菜時間ホームページにて公開しています。

 順不同で制作されてきたシリーズ最後の一首となるのは、壬生忠見作「恋すてふ我が名はまだき立ちにけり人知れずこそ思ひそめしか」。
 淡い薄萌葱色に囲まれて、はにかむように見え隠れする藤色の花びら。その中心にそっとしまわれていた薄紅色のバラは、染まった頬を隠すようにその首を傾げている。周りを囲むビビッドな花たちは、あたかも「あなたの好きな人はいったい誰なの?教えて!」と囃し立てているよう。
 これまでほとんどすべて、上の句を作品の題としていたシリーズ最終作のタイトルは、そのパターンを覆して、「K」の一字。これは「恋すてふ」のKなのか、はたまた作者の想い人のイニシャルなのかと、話題をさらった。
 華道家として作品制作を意欲的に行い、常に新たなるインスピレーションを私たちに与えつつも、あくまで華道教室でのいち師範であり続けることにこだわる。そんな多忙な千家先生に、編集部はお話を伺うことができた。
※千家先生へのインタビューは、7ページから掲載しています。


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◇蛇足的管理人の和歌補足・またしても再び。◇
・恋すてふ~(壬生忠見)
 私が恋をしている、と、もう周りが噂してしまった。心の中だけでそっと、想いはじめたばかりだというのに。
 ・・・てな感じです!「恋すてふ」=「こいすちょう」と読みます笑
  猿真似似非雑誌目次。笑ってください。館林さん結局知り合いだったのか。知らなかった(おい)。次回、最終回です(ドキドキ)。

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