コヒステフ 9 雪割草と助言


 眠そうだね、と言われた。誰からだったか。マンションの管理人だったかもしれない。それすらよく覚えていないくらい、眠い。
 新宿の陰陽師に相談していた不眠の件は、すでに片付いている。
 眠れない理由は、霊的なものとは別。
 他でもない、彼のこと。
 布団に入ると、嫌でも考えてしまう。どうしようもなく心がざわついて、目が冴えてしまう。
 千家を好きだという気持ちを肯定したいけれど、恐い。これまでの彼の言動から自分への好意を探し出そうとするけれど、解釈は幾通りも考え出すことができて確証が持てない。
 そんなこんなで、悶々としているうちに夜が明けることの繰り返し。
(・・・そういえば天現寺橋さんは、いろんな人と付き合ってるみたいだった。恋愛相談は、お金取るのかなぁ・・・)
 先日、相談した件が解決したとき、また遊びに行くと言った。天現寺橋も、嫌そうではなかった。近況報告がてら、もしかしたら少しだけ話を聞いてもらえるかもしれない。
 京一郎は眠い目を擦りながら、新宿の繁華街へ向かった。

「はいは~い。あ、柊サマ!ご無沙汰してます。」
 地下二階の事務所のチャイムを鳴らすと、とたとたと走って出てきた水干姿の少年が、にこやかに迎えてくれた。
 通されたリビングでお茶を飲みながら待つ。しばらくして、顔に絵具を付け、眠そうな顔をした線の細い男が現れた。
「こんにちは。こんな姿で悪いね。」
「いえ、お久しぶりです。今日は襖絵を描いていらしたんですか。」
「ああ。うっかり徹夜してしまってね。・・・久しぶり。遊びに来てくれて嬉しいよ。なんだか君も、眠たそうだけれど。」
 ふぁぁとあくびをして、天現寺橋はソファに座った。
「あ、そうだ。君の好きなお煎餅があったっけ。バサラ、出してくれるかい。」
「は~い」
 花柄の和紙を敷いた器に、煎餅が山のように盛られて出てくる。京一郎はゆっくり噛み締めて1枚食べきってから、意を決して口を開いた。
「おかげさまで、あれ以来、死霊みたいな気配を感じることはないです。・・・ですが、ちょっと個人的な理由で眠れなくて。」
「へぇ。どうしたんだい。悩み事でも?」
「・・・えぇ。・・・ぁの、天現寺橋さんは、・・・その、・・・恋愛経験が豊富なんですよね!?」
 突然の質問に多少面喰いながらも、天現寺橋は口の端をにやりと上げる。
「まあ、言うほど多くはないけどね。なんだい、君の悩みっていうのは、恋の悩み、なのかな?」
「う・・・。相・・・手の、ひとの、・・・行動が、理解、できなくて・・・。」
「あ~、なんだか青春、って感じですねぇ~。」
 先ほどまで少年の姿をしていた式神は、ペラペラの紙の状態になってうっとりと両手を組む。初めて見たときはリアル一反木綿かと思ったものだが、もう見慣れた。ちなみに本物の一反木綿は、主に港区にいるらしい。
「バサラ。ちょっときみは席を外してくれるかな。」
「え~、なんでですか~。ボクも柊サマの恋バナ、聞きたいですぅ~」
「クライアントの相談は面白がって聞くものじゃないよ。ほら、夕飯の買い物にでも行っておいで。」
「・・・は~い」
 そして、式神を追い払った主は目を光らせる。
「で?それで?京一郎くんはいったいどんな男に惚れてしまったんだい?お兄さんにくわしく話してごらん。さあ。さあ!」
(・・・誰よりも面白がってるのは、この人じゃないか・・・。しかも、またなぜ男だと決めつけるんだ。・・・間違っては、いないけど・・・。)
 京一郎は溜息をつきながらも、一先ず天現寺橋が興味を持ってくれたことにほっとしたのだった。

「・・・つまり、彼の首筋にキスマークを見つけてしまった君は、勢い余って彼にキスしてしまった。しかもくっきりと痕付きで。そしたら、彼のほうが”罰だ”と言って、ディープキスをしてきた、ってことだね?」
「・・・うぅ。・・・はい・・・。」
(・・・恥ずかし過ぎる。穴があったら入りたい。)
「君は、彼がどういうつもりでキスしてきたのかを知りたい。できれば、先にキスマークを付けた相手がどんな人物かも。」
「・・・はい。」
「念のため確認するけど、君はその彼のことを、好きなのかな?」
「・・・・・・・・・・・・はい」
「ふむ・・・。」
 縋るような目で天現寺橋を見つめる京一郎。
(・・・こんな可愛い子を手玉に取るなんて、その男、結構なSと見た。ちょっと会ってみたいかも、なんて。)
 うっかり悪い顔で微笑んでしまう天現寺橋。
「天現寺橋さん、彼は、・・・伊織先生は、いったい何を思っているのでしょうか・・・。」
 京一郎の必死な訴えに、天現寺橋は表情を改める。
「・・・正直、僕には何とも言い難いな。」
「・・・そう、ですよね・・・。」
「可能性としては、君の色っぽい顔を見てついムラっときちゃった、っていうのが一番あり得ると思うけどね。君は悪戯な小悪魔、ということ。」
 ぴっと指差してウィンクしてやると、京一郎はさらに困った顔になった。
「・・・・・・そんな、・・・こと・・・、あるん、ですか?」
「そりゃあ、あるんじゃないか?現に君だって、相手にキスマークを見つけてつい興奮してしまったわけだろう。」
「こ、興奮なんて・・・。・・・でも、別に好きじゃない人が相手でも、その、ムラっときたりするものでしょうか?」
「まあ、そんな気分になることもあるだろうね。しかも君は可愛いから、可能性は高いんじゃないのかな。」
「・・・・・・。」
 京一郎は、絶句して俯く。
「・・・伊織先生も、天現寺橋さんみたいにその日の気分で、別に好いてもいない不特定の相手とキスしたり、それ以上のこともする、ってことなんですね・・・」
「ちょっと。僕みたいに、っていうのは聞き捨てならないけれど。・・・まあでも、ないとは言えないだろうね。」
 もうほとんど涙が零れそうな顔の京一郎を見て、天現寺橋の心は少し痛んだ。
「京一郎くん、だけどこれはあくまで憶測だ。それに件の彼が君のことを好いていない根拠だってないんだろう。本当のところは、直接本人に聞いてみるしかないんじゃないのかい?」
「・・・だって、私はどんな顔をして教室に行ったらいいか・・・」
 教室という言葉に、天現寺橋は以前京一郎が花を持って事務所を訪れたことがあったのを思い出した。
「・・・あ、もしかしてその相手って、こないだ話していたお華の先生なのかな?」
「・・・はい」
「や、やはり和室でお稽古セ・・・ッ!!」
「はい?」
(やばい。やばいやばい。これはかなりエロいぞ京一郎くん・・・!)
 鼻息荒くなりかけて、天現寺橋は自重する。
「とりあえず、次回は普通の顔して稽古に行って、相手の様子を見てから、どうするか考えるのがいいんじゃないか。」
「・・・いつも、教室が始まる前に、伊織先生の部屋で着物に着替えてるんです。」
「・・・なん、だって・・・・?!」
(京一郎くん、きみって奴は・・・、実は無自覚に相手を誘っているんじゃないのか?!)
「私の着付けが甘くて、はだけたり、帯が緩かったりすることがあるので、先生が心配して、着付ける前に必ず来るようにって・・・。」
(そりゃあ、心配するだろうさ!)
「あ、でも私が着替えてる時、先生は花を生けたり本を読んだりしてるから、見られてるわけじゃないですよ。」
(絶対チラ見してるよ、間違いなくね!)
「・・・だから、いつもどおり伊織先生の部屋に行くのが、怖くて・・・。何で来たんだ、とか言われたら私はどうしたらいいのか、分からなくて・・・」
「これまで聞いた感じだと、そんなことは言われないと思うけれど・・・。」
「・・・でも、神良坂に行くことを考えるだけで、足がすくんでしまう気がするんです・・・。」
「ん?教室は、神良坂にあるのか?」
「はい。」
「なんだ、新宿区だったんだ。なら僕も通え・・・じゃなくて。その先生の名字は?伊織先生、っていうのは下の名前なんだろう?」
「はい、千家先生です。」
「千家流ね。・・・ちょっと、待っててくれるかい?」

 席を外した天現寺橋は自室に戻り、現在依頼されている案件の資料を引っ張り出した。新宿在住の文化人が定期的に集まる会合の場で不審なことが起こる、という話で、参加者の名簿も入手していたのだ。その中に、華道家の名前も連なっていたように記憶している。もし間違いなければ――。
「・・・あった。千家伊織。これか・・・。」
 天現寺橋は口の端を吊り上げる。
「京一郎くんを悩ます男の顔、拝んでやるよ。・・・くっくっくっ」

「悪い。急におなかが痛くなってしまって。」
 白々しくおなかを押さえながら、天現寺橋は京一郎の待つリビングへ戻ってきた。
「大丈夫ですか?すみません、体調の悪いときに訪ねてきてしまって。」
「いいんだ、気にしないでくれ。それより、やはりこの件はまず、素知らぬ顔で相手の出方を見るのが上策だと思うよ。」
「・・・はい。」
「僕が君に伝えるべき恋の秘訣は、”焦らないこと”だ。むしろこっちが焦らせてやるくらいにどっしり構えてやるのさ。良い報告を待っているよ。またいつでもおいで。僕は君の恋を応援しているからね。」
「わかりました。ありがとうございます、天現寺橋さん!」
 少しだけ元気になって、曇りない感謝のまなざしを向けてくる京一郎に、ちょっと罪悪感を覚える天現寺橋であった。

  面白いこと見つけちゃった天現寺橋センセイ。そのうちまた出てきます。フガガ。

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