One more time, One more chance 番外編 5



 ヒールの高いパンプスやブーツを履いているせいか、ともすれば己の背を越えてしまいそうな女性たちに、妹可愛いねだのお兄さんイケメンだのむしろお兄さんが可愛いだの弄くられ、ミイラ取りがミイラになってしまった京一郎は、これはまた妹の機嫌を損ねてしまったかと、周りを見回した。しかし、先程まで確かに側にいたはずの櫻子がいない。
「・・・ぁの、い妹は・・・?」
 半ば悲鳴のように声を上げると、短いスカートの店員はにっこりして答えた。
「あそこで美人のお兄さんとおしゃべりしてるよぉ。」
 見ると、先程までいたベンチに千家と櫻子が並んで仲良く座っている。
 良かった、と思うのも束の間。千家は手を伸ばし、細い膝に置かれた櫻子の手を握った。
「え・・・」
「あの人知り合いなんじゃない?ナンパじゃないでしょ。」
 大丈夫だよ、心配しなくて。横で店員が声を掛けてくるが、耳に入らない。
 何をしているのだろう。
 昨日、千家がうちで櫻子の手にキスをしたのは、多少のからかいも含まれていたと思うし、何より京一郎の目の前だったから、さして目くじらも立てなかった。
 しかし今は声も届かないくらいの距離にいて、彼らがどんな会話をしているか知ることはできない。何やら胸がざわつく。
 千家は背を屈めて櫻子の耳元に何か囁いた。
 一瞬、櫻子が首を竦める。
 ぎょっとした。
 身体中が熱くなって、冷や汗が吹き出るような気がした。
 なのに、頭だけは冷えびえと、彼らの様子を観察し続ける。
 千家を見上げた櫻子は、頬を赤く染めて目を伏せ、それから何か決意したように口を動かした。千家の手を、強く握り返して。
 それに柔和な微笑みを返し、千家は立ち上がる。
 こちらへ向かってくる。
「おーい、お兄さーん」
 一点を見つめて微動だにしない京一郎の目の前で、店員が手のひらをひらひらと揺らす。
「大丈夫?顔色悪いみたい。休養室いく?うちらのバックヤードで休んでもいいよ?」
 腕に触れられて、先程までなら驚いて飛びのいていたところだが、いま、京一郎はそうする気にならなかった。
「・・・そうですね。お願いしようかな。」
 冷たい声が出たことに我ながら驚きつつも、千家に見せつけるように背を向ける。
「京一郎。」
 千家が呼んでいるが、返事をせずに店員について行く。
 長い腕に手を掴まれた。
 振り返らずに、低く呟く。
「・・・なんです。」
「行くぞ。妹御がお待ちだ。」
 その言葉に、カッとなった。
 腕を振り払い、荒らぐ声を抑えて、言い放つ。
「どこへなりとお好きに行っていただいて結構です。妹は貴方に随分と懐いているようですし。」
「・・・何を怒っている。」
 あやすような柔らかな声に己の惨めさが際立ち、泣きたい気持ちになる。
「は?別に怒ってなんかいませんし。」
 冷静に対応したいけれど、つい険のある声が出てしまう。
「なんだ?痴話喧嘩ぁ?」
 店員が楽しそうに覗き込んでくる。格好悪いことこの上ない。
 見られないように背けた顔が千家の肩に当たった。
「ふふ。妹を取られたとでも思ったか。」
「なに、言って――!」
 離れようと押し返しても、ぎゅうと抱きしめられて逃れられない。
「王子キタ」
 色めき立つ店員たちに目線を流し、千家は京一郎の腰を抱いた。
「さぁ、行こうか。」
「――っ!ちょっと、」
 腕から逃れようとしても、千家がそれを許さない。半ば引き摺られるようにしながら店を出る京一郎を、店員達は拝むようにして見送った。
「あれだ、尊いやつだ。」
「ありがとう、また来てね、二人で!」
 ポケットにショップカードをねじ込まれ、二度と来るものか、と京一郎は内心悪態をついたのだった。

 千家に連れられて京一郎がベンチへ戻ると、櫻子は嬉しそうににっこりした。
「ねぇねぇお兄さま、行きたいところがあるの。」
 これまでと打って変わって棘もなく、甘えた表情に面食らう。そっと千家の様子を窺うと、櫻子を見ながら微かに首を傾げた。何やら秘密の暗号を交わし合っているようでやはり面白くない。
 が、ここで問い詰めるのも恋人として兄としての矜持が許さない。
 京一郎は小さく溜め息をついた。
「・・・もう買い物はいいの?」
「うん。だいたいお店は見れたし、欲しいものも買えたし。」
 満足そうな櫻子の足元には、洋服や雑貨の入っていると思われる紙袋が2つ3つ。あまり高額な小遣いを持っていなかった割には、うまくやりくりしたようだ。
「よかったね。で、今度はどこに行きたいんだい?」
「あのね、パワースポット!」

 樫や檜が高々と生い茂る砂利道を、京一郎を挟んで三人、並んでのんびりと歩く。
 昼前に出かけた当初は昨日の焼き餅など忘れていたはずの京一郎だったが、いまは先ほどのベンチでの様子がどうしても頭から離れなくて、つい櫻子と千家が隣り合わないように気を付けてしまう。
 何故か、妹が千家と近くにいると心がざわつく。昨夜は少々拗ねてみるなどして千家に甘やかしてもらい、妬心など馬鹿馬鹿しいと打ち消したはずなのに。
 また何故だか、こんな思いをしたのが初めてではない気がするのだ。自分よりも妹の方が千家に似合いなのではないか、などという気持ちが湧き上がりそうになって、京一郎はそれを必死に抑える。
 確認したくなってしまう。
 自分でいいのか。
 女でなくていいのか。
 そもそも、彼は何時までこのような付き合いを続けようと思っているのか。どこまで本気で考えているのか。
「・・・・・・。」
 小さな橋の手前で立ち止まり、京一郎は深呼吸した。
 木の香りの混ざった神聖な空気と水の流れる音が、邪念を払ってくれるような気がする。自然、櫻子と千家も足を止めた。
「気持ちいいね。」
 少し肩が軽くなったような気がして、京一郎は微笑む。しかし、櫻子は不満そうに呟いた。
「これじゃうちの近くと変わらないわ。」
「こら、櫻子。ここの神様に失礼だろう。」
「うちの方が古い木がもっとたくさんあって、とっても気持ちいいもの。これでパワースポットっていうのなら、桃木村の方がずっといいと思う。」
 軽くたしなめても、きかない。繋いだ手を少し強く引いても、ぷい、とそっぽを向かれてしまう。
「ふぅん。一度、行ってみたいものだ。」
 京一郎の気遣いをまるで汲まない千家の言葉に、櫻子は得意げに応えた。
「伊織さんが来るときは、私が案内してあげますね。田舎だけど、自然だけはあるから。」
「楽しみだな。」
「・・・・・・。」
 自分を飛び越えて交わされる会話に、またしても京一郎は胸に仄暗いものが広がるのを感じた。

「あれ・・・花嫁行列・・・」
 櫻子の声に顔を上げると、白無垢を着た花嫁と、紋付姿の花婿が、赤い傘を差されてしずしずと歩いているのが見えた。後ろには、親族やら親戚やらがぞろぞろ続く。
「結構見るよ、ここで結婚式してるの。・・・あ、伊織さん、ここのお花も作ったりするんですか?」
「和装の花嫁のためにブーケを作ったことがあるな。」
 ブーケと聞いて、京一郎はいまの部屋に初めて来たときのことを思い出した。千家は、京一郎に白い花束を差し出し、京一郎は、ブートニア代わりに花束から一輪取り出して、千家の髪に飾ったのだった。
 そっと見上げると、千家は目を細めて京一郎の髪を指で梳いた。
 彼もあの時のことを思い出しているのだろうか。
「綺麗・・・。」
 櫻子の声にはっとする。つい千家と二人きりでいるような気になってしまった。京一郎が慌てて様子を窺うと、彼女はただ花嫁をうっとりと見つめていた。
 いつか妹も誰かのものになってしまう時が来るのだろうか。
 もし、彼女を幸せにできる相手が現れたときには、素直に祝福したいと京一郎は思う。
(けれど私は、どうなんだろう。)
 現状、想いを寄せる相手と暮らすことができているが、両親を含めた周囲は、この共同生活は一時的なものだと理解しているはずだ。
 彼の家へ来いと言われた時こそ驚いた京一郎だが、今となればもう、千家と離れて生活することなど考えられない。
 初めからこうなるよう定められていたような気がする。その気持ちは日に日に増して、もし彼を失うようなことがあったら生きていける気がしない。
 理解を得るのは、恐らく容易ではない。しかしいつかは彼との真の関係も両親に説明すべき時が来るだろう。勘当されてしまうかも知れないし、失望されてしまうかも知れない。だが何度拒絶されたとしても、粘り強く想いを伝えようと京一郎は思う。そうやって、ゆっくり受け入れて行ってもらうしかない。
 逆に、千家の家だってそうだ。彼の姉は何となく歓迎してくれそうな気がするけれど、母親には一度だけしか会っていないし、父親に至っては顔を見たことすらない。
 彼の新しい家に住むことになって、相手は社会人だからと安心しきっていたが、そう離れていないところに居るわけだし、一度くらいきちんと挨拶をすべきだろうか。
(どうか、良い方向へお導きください。)
 柏手を打って目を閉じると、縁結びの神が温かく見守ってくれているような気がした。

「・・・お兄さま、ちょっとお腹へっちゃった。」
 砂利の参道を戻りながら、櫻子が甘ったるい声で囁く。
「途中に売店があるから、一休みしようか。」
 千家に振り返ると、頷きを返された。
 軽食処で席を取り、京一郎がリクエストされたソフトクリームを買ってテーブルへ戻ると、櫻子は席を外していた。
「花畑に行くと言っていたが、この辺りには花壇も何も無かったように思うのだが。」
 不思議そうに千家が言う。京一郎も少し首を傾げたが、すぐに言い間違いだと気付いた。
「大丈夫ですよ、用を足しに行ったんです。」
「そうなのか。」
「・・・それにしても櫻子、伊織や伯父の前では猫を被るんですよね。昨日なんて、私には物凄い剣幕で、勝てる気がしなかったっていうのに。」
「年頃なんだろう、可愛らしいではないか。」
 粗雑な振る舞いなど気にも留めず千家が楽しそうに微笑むので、またいじけた気持ちがじわりと湧き上がってきた。
「・・・ああいうのが、好みなんですか。」
 つい、責めるような口調になってしまう。
「うん?」
 格好悪い。分かっている。
 しかし何度も飲み込んだ不満は、結局消化されずに体内に溜まるばかり。
 器に収まり切らなくなってしまうと、もう、溢れ出すのを止められない――。
「だから、その・・・貴方は、・・・・・・」

  すみません、次回が最終回・・・のハズです。 (´Д`;A
  

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